何に疲れるかって、関係性のための会話に疲れるわ。
自分の目から見てなのだけれど、教師の中には二種類いるなあと思う。
「自分しかいない人」と「他者のいる人」だ。
自分しかいない人は疲れる。
たとえば、「自分のやり方である行動を消失させる」ことが正義だと思っている人はガツガツしている人は、「でも、なんでなのか」とよく原因を突き止めて、穴を埋めようとする。
ただ、それって分からないのよ、いくら聞いても。それで、それは埋めた気になって、どこかでまた再発する。その繰り返す痛み止めは、効き目が切れる。と思うし、もちろんそれで、終わるならそれでいいし。ただ、問題は、お前は何もできないのに「ぎゃー、ぎゃー」抜かすなってことだ。
そして、結局、「人間らしい」と思えたり、「そうそう、それそれ」と思える見立ては「ブリーフセラピー 」なのである。
教師全員が気にかけて、そればかり恐れていて、その保険ばっかり求めているのが「学級崩壊」である。だとしたら、それについての特集を見ないでどうする、ということで、今回の授業づくりネットワークを買った。
P.46から、「ブリーフセラピー 」の話が出ている。一通りここまでも頷くところが多かったのだけれど、「それで?」連発でもあった。現場の救いにはならない。
「それで?」が分からない。今、何かトラブルで困っている人は、「それで?」がほしい。
大事なことは
原因がいろいろということは、原因が人によって、学級によって、ちがうということの他、原因は一つではなく複数の要因が絡み合っているという意味もあります。ということは、『百発百中』の対応策をねらうのではなく、『数打ちゃ当たる』の心持ちで、手を変え品を変えあきらめずに対応していくことが必要になります。
まさに、これである。なんて希望のある言葉だろうか。「あなたのやり方じゃダメ」、「私のやり方こそ相応しいの」ではなく。うまくいかない前提、それも仕方ないということ。でも、頑張ってみようというのが温かいと思う、人間らしいと思う。
おかげで、3つ策を思いついた。
- 外在化すること(目に見えない共通の敵を作り出すことにしよう)
- 共同の課題を設定すること
- ミラクルクエッション
とりあえず、この3つを試していってみようと思う。それで、「何か」が変われば、変化が起きる可能性はある。
明日は向かう。