いよいよ完結です。
最後の2ページに言及されていること
ここでは、4つどうすべきか、何を考えるべきかが示されています。
土井隆義さんが言うには
①人間関係の構成原理をもう一度見直す。
②個々の問題に潜む社会的な共通因子を見出す。
③「個性を生かす」ではなく「個性を伸ばす」。
④大人のメンタリティを問い直す必要がある。
と書かれています。
#3の概観
「社会」*1に
↓求められる
「内閉的な個性」
↓しかし
直感の内側への探求は根拠がなく不安
↓
この不安は「承認されたい気持ち」を生む。
↓ただし
「公共圏」の性格を内在化できると良いが、歴史性が欠如し社会には"リアリティ"がないため、公の性格を内在化することはできない。
「公共圏」に必要な振る舞い(慣習や道徳や大人の言うことを聞くの)では承認欲求を満たすことはできない。
↓そのため
「親密圏」にいる同調できる人をさがす。
↓でも、結局
「内閉的個性志向」は終わりがなく、そもそも個性の探求には「社会的個性志向」が必要で、このままでは「個性」の探求はできない。そのため「承認されたい」という気持ちだけが直感として残る。
↓それによって
「親密圏」の関係に神経を使って、自分が否定されないようにしなければならない。友だちとの人間関係が重くなる。
※承認を得るためのかかわりの中で、ノリで犯罪をしたり、いじめが起こったりすることがある。
↓また
直感で合わせている自己は、自身が本当の自分(個性)だととらえている自分であり、否定されると、自分の存在そのものを否定されたと感じるぐらいのダメージをうける。
↓しかし
直感どうしのかかわりにおいて、ズレが生じることは必然といえる。
↓その先で3つの事態が起こる。
1)友だち殺し
2)無差別な殺人
3)引きこもりや不登校
↓
ただし、子どもたちは「公共圏」における「素の自分の表出」を求めている。
以上から、
どうすれば、
▶︎子どもたちは安心して「承認欲求」が得られ
▶「素の自分の表出」を可能にし
▶「満足のいくコミュニケーションが取れるのか」
を、この先考えなければならない、と感じる。
興味深いのは、「道徳性」がないのではなく、「承認欲求」 を満たすために、考えなしに、無道徳な振る舞い(犯罪やいじめ)が起こるという点である。
「道徳性がない」とする指導の視点では満たせない、子どもたちの中で人質になっている考えがあるのだ。
土井さんは、その背景には大人のメンタリティによって具象化された、社会の在り方があると言っている。
私たちは、「世界に一つだけの花」を学校で歌う場面がある。
幸い(?)まだ、2冊続きがあるので、自分なりに考えの落ち着くところを見出していきたい。
まとめ
まとめとして、「自分が抱いていた問いへの考え」と土井さんの言う「①、②、③、④」について考えを書いていく。
【問題意識への言及】
1.今時の高学年を見ていて「本当の自分を出せないルール」(何か雰囲気のようなもの)に支配されていると感じました。
これには、露骨に答えが書かれていたように思います。
「内閉的個性志向」という社会のムードに、子どもたちは耐えきれずに、「親密圏」での「承認」を求めているため、否定されることが不安で「素の自分の表出」ができない、というわけです。
まさに、支配されていると思います。
2.その集団の中にいて自分の立ち位置(要はキャラのようなもの)が決まると、自分はそういう人間なんだと自分で位置づける。その位置からは逃れられないものだと思い込んで、一生の間社会の中でもそうだと思い込んでしまう。
ある関係から抜け出せないというジレンマというかパラドクスにはまっていることについて、少しだけ「個性を煽られる」にも書かれていたように思います。
次の「キャラ化する/される」で、より明らかになりそうです。
3.その集団で市民権が得られるように振る舞うことに呑まれる。
これも「承認欲求」が得たいため、というところで理解できます。
以上です。
救済への道の一つは「素の自分を表出したい」という、人間関係への欲求だけなように思います。
その心地よさを糧に、人と人がつながって、人と人とのつながりのある社会を構築していくことができたら、彼らも私たちもきっと幸せになれるのだと、感じます。
そのために、大人ができることを以下で、土井さん言及から考えてみます。
①人間関係の構成原理をもう一度見直す。
「人間関係はどうすれば良くなるのか」を、コンピテンシーとして伝えていかなければならないのかもしれません。
・プラスのストローク
などによって、素を正しく表出する心地よさを体験すると良いのかもしれません。誰も傷つかない方法は可能であることを体験的に「知る」ということです。
②個々の問題に潜んでいる社会的な共通因子を見出す。
共通因子として思ったのは、先日書いた「倉敷宣言」の「共通価値」かな、と思っています。
③「個性を生かす」ではなく「個性を伸ばす」。
今回の話のコアなように思います。
「個性を生かす」は、「内閉的個性志向」です。
「個性を伸ばす」は、「社会的個性志向」の視点です。
教師の役目として、学校という社会に出てきている子どもたちの「個性を伸ばすための働きかけをしろよ!」と強く言われているように感じました。
学校の良さを感じさせなければ、社会に出ても、あるときに「内閉的個性志向」に子どもが走っていってしまうのは必然なように感じます。
そして、このままでは、このサイクルが終わることはないわけです。
④大人のメンタリティを問い直す必要がある。
意識する心理状態のこと。
行動や発言の根底にある、通常、表に出てこない心理的な、人それぞれの、内部統制の状態。
合わせこみをしてない場合は、持って生まれたもの、環境によって、人によっては、ばらばら。
(コトバンクより)
一番大事なところですね。
私たちが、社会をどう思っているのか、人間をどう思っているのか、が結局問われなければならないことなわけです。
私は、「人それぞれ」という言葉に甘えてしまってはいけないと思っています。
幸せってなんなのか、愛ってなんなんか、生きるってなんのか、自由ってなんのか、大人たちが多様な価値観に飲まれてしまうのではなく、小さいコミュニティでもいいから話し合いを行い、そこに属する子どもたちに伝えられるような態勢が必要なのではないか、と思うのです。
多様化だから、自由で便利だからみんなで考えることもしなくて、バラバラでいいってわけではないでしょう。
「倉敷宣言」に挙げられているような事柄について、それってなんなんだろう?と、大人が忙しさに負けずに、まず、大人がコミュニケーションをしなければならない時期に来たのでしょうね。
ひとまず(完)
「個性」を煽られる子どもたち―親密圏の変容を考える (岩波ブックレット)
- 作者: 土井隆義
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2004/09/07
- メディア: 単行本
- 購入: 8人 クリック: 59回
- この商品を含むブログ (61件) を見る
*1:社会化の中に組み込まれた「内閉的個性志向」は、大人によって請求されたものである。社会は大人のメンタリティの反映だからである。