だんだんと整理ができてきた。
「自己批判力」(?)
〈価値観の多様化〉からくる〈自尊感情〉の低下と〈承認欲求〉のスパイラル。
これを打破するために「〈自分一人は優れている〉ではなく〈自分一人は優れていない〉と考えられる力」が必要だと考えた。
(批判力は、カントでいうところの吟味って風合い。結局、生徒指導における自己指導能力なような気もするけど。)
これは決して人間一人の力を軽視するわけではない。
ただ、人間一人の力の中身は、誰かと掛け合わさった先に生まれるものだと思う。
この基本に立ち返るための力が「自己批判力(仮)」。
自らの力は、自らに眠っていると考える〈内閉的個性志向〉も抑えつつ、〈承認欲求〉にも飲み込まれずに、他者とのかかわりを希求できるようにするには、ある程度「自分を批判できる力」が必要だと思った。
たとえば、もし自分には出来ないと本当に思っていたら、人は他者の力を借りようと思うのではないか。
実際は、心のどこかで「自分はできる」といった驕りがあるからこそ、「動き出さないこと」や「自分が承認欲求を得るための行動」を選んでいるのではないか、と考えた。
自分を批判できないからこそ、〈成長する方〉の選択に踏み切れずに、本質的な自分がどんどん食い物にされて自尊感情が下がっていってしまうということだ。
そのスパイラルから脱するには「他者」という視点が必要で、「他者」に関心をもつことができれば、脱することが出来る可能性が高い。
「自分のために他者に関心のある自分」ではなく、「他者のために他者に関心のある自分」である。「他者」は「外界」にも言い換えられる。
簡単に言えば、自分が満たされないのは、そこに自分しか存在しないからであって、「自分だけの自分だけによる自分だけのための人生」は存在しない。にもかかわらず、それを追及しているからこそ、苦しくなっているということだ。
(これは、世の中の個性志向が歪んだからだと思う。天才探しに躍起になったという感じだろうか。人は誰でも真ん中より上くらいと思いたいからだろうか。)
そして、話は少しだけ跳ぶのだけれど、私はこれに〈シチズンシップ〉が掛け合わさるにはどうすればいいかを考えていた。
(〈他者意識〉は、ずっと言ってきたテーマだったため)
アドラー心理学
これらを結びつけるのが、今のところ〈アドラー心理学〉だと思った。
(結局……なのだけど、6年前や4年前に見て「その通り」と強く思ったし)
〈アドラー心理学〉にある〈所属感〉や〈共同体感覚〉が「〈自尊感情〉や〈承認欲求〉、〈シチズンシップ〉」とつながっている。
自尊感情の低下を倒す
〈自尊感情の低下〉は、〈「本来的な自分」の居場所〉をつくろうとして、失敗した結果起こっていると考えられる。
「本来的な自分」とは、いわゆる「ありのまま」の自分。
人はこのありのままの自分がいられる居場所を探すわけだけど、そんな場所は社会には存在しなくて、ある程度の抑制が必要になる。
その抑制を可能にするのが、〈安心感〉だと言う。
承認欲求を倒す
〈安心感〉は〈認められる〉ことで生まれる。
要は、メンバーに所属している、と感じられることが大切で、これは〈承認欲求〉ともつながるのだけれど、他者を規準としないで、自ら「参加したい」と思えるような〈貢献感〉を抱けるようにすることが大切になる。
〈貢献感〉は〈シチズンシップ〉につながる。「社会をよりよくしたい気持ち」っていうのは、〈貢献感〉から生まれる。
〈貢献感〉については、
“自分は自分だけで生きているわけではなく、他者と結びついていると感じられれば、自分も他者に貢献したいと思うようになる”
と岸見さんが言っていました。
その〈貢献感〉から〈所属感〉が生まれ、場の安心感につながっていく。
そのつながりの拡張が〈共同体感覚〉であり〈誰もが生きやすい社会〉→〈インクルーシブ社会〉への一歩となるように思う。
ESDについて調べて、さらに整理できるといいなと思う。
前に読んで役に立った本
(6年以上前)
アドラー博士の子どもを勇気づける20の方法―もう“いくじなし”とは言わせない (サンマーク文庫)
- 作者: 星一郎
- 出版社/メーカー: サンマーク出版
- 発売日: 2000/03
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(4年前)