最近の中で、この指導子どもに入ったなと思っている指導の一つに、「社会では責任を果たすと自由が与えられる」というものがあります。
自由権に則った形で自由を定義しています。
・他を害さない。
・法律に反さない。
「自分勝手」「なんでもあり」の自由で法を犯せば、どうなるかは子どもたちも知っていました。
日本では日本の中で、 この枠は越えないでねってのがあるよ、と。
その中でなら「自由」なんだということを伝えました。
今、自分が自分の責任果たせてるか、という視点を忘れないでほしい、と。
今週は黒板の隅に
「社会では責任を果たすと自由がえられる」と書いてあります。
大きな変化に、偶然そういう姿勢になる時期が来ただけかもしれませんが、
・チャイムで教室に戻る
・学習してなかった子が学習する
・学校の活動に文句を言わなくなる
といったことが見られるようになったと感じています。
大切なのは、別に「自由」と「責任」について教えることではなくて、
彼らが「納得」できる「行動規範」を与えてあげることかな、と思います。
そこに、「汎用性」があると、どんな場面でも使えるわけです。
そのときそのとき、自分に問える一つの言葉があると、そのときに相応しい行動の選択がしやすいのかな、と思いました。
一人の子は「学校うぜえ」「誰がやるか」「うざい死ね」って態度の子だったのですが。
この間「オレ中学行かなくてもいいかな。」と言って話してきました。
(その間家でやりたいことがあるのだそう。)
大人の押し付けではない、納得できる社会の基準を知って、単に反発しているのではなく、考えて「主張」を選んだのかな、と思いました。
彼らには、自らを生ききる責任を果たしていってほしい、と願っています。