自己責任論と社会的責任について考えてみているハピペンです。
小学校の社会的責任はなんだろう。と思い、学校教育法を見直す。今回の私の内容は浅い。ざっくりと叩き台的なもの。
学校教育法より
第十八条 小学校における教育については、前条の目的を実現するために、左の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。
一 学校内外の社会生活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと。
「人間相互の関係について、『正しい』理解と協同、自主及び自律の精神」の「正しい」って何だ。と思う。
そこを話し合っていかないと見えない。各々の感覚で処理されすぎている。道徳論と感情論。それは、多様化の時代には合わない。じゃあ合う人だけが教職につけばいいだろうか。その一方的なイデオロギーこそ、学校の課題だろう。
これは、全教育活動が担っているはず。
二 郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。
道徳や生活科、社会科、総合だろうか。現状と伝統についての正しい理解。悩まされる。
三 日常生活に必要な衣、食、住、産業等について、基礎的な理解と技能を養うこと。
日常の生徒指導(給食等を含む)、道徳、生活科、社会科、総合、家庭科。
四 日常生活に必要な国語を、正しく理解し、使用する能力を養うこと。
国語。そういう意識で国語を教えているだろうか。この説明文の学びが日常生活のあの場面で必要だな。と。そして、それを正しく理解する。
五 日常生活に必要な数量的な関係を、正しく理解し、処理する能力を養うこと。
算数。これは、逆に分かりやすくコツコツとやっている感じがイメージできる。小学校の内容においては、日常とも接続しやすい。ヘクタールとデシリットル意外は。
六 日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと。
理科。
七 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図ること。
習慣。。。ちょっと甘いかもしれない。これは「校内の」なのだろうか。気になる。
体育のことでもあるよね。
八 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸等について、基礎的な理解と技能を養うこと。
音楽、図工。まあ分かる。
それだけのことと言えば、それだけのことだ。
難しいのは「コンテクスト」が様々になる部分。それぞれの育ちによってしか答えが導き出さないような部分。
「人間相互の関係」
「現状と伝統」
「幸福のための習慣」
これらへの「正しさ」
これらを検討するために時間を作って話し合える組織は、この先も責任を果たすことに近づいていくのだろうなあ。
検討できない組織は、各々の自己責任とされ、ブラックだブラックだと喚いて、病気になるかうまくいっているとき(同僚に恵まれているとき)は元気で、最後には自分のせいか、子どものせいか、親のせいか、管理職のせいか、時代のせいか、何かのせいにして、ジョーカーを押し付けあって、そのジョーカーを手にした人を廃退させるのだろうね。
この多様性の時代に、一人の思い。つまり、自己責任では、目に見えない未来を扱う教育現場の責任は果たせない。