記録を人に進めるも「今はちょっと休みたい」と言われてしまった「ハピペン」です。
あーあそうだよなあ。でもなんで記録って楽しいんだろう……。もうまったくいいことしかないよなあ。脳もスッキリするしなあ……。
「ん?!」
「そ、そうか……そうだったのか……そういうことか?!」な「ハピペン」です(2回目)。
というわけで、なぜ脳がスッキリするのかを「ハピペン節」でいったるぜ!
「分かる」って何か
はじめに読んでいる本に書かれている定義を紹介します。
この本は自分が学びたいこと全部入りで今年度出会えてよかった本。
思考・論理・分析―「正しく考え、正しく分かること」の理論と実践
- 作者: 波頭亮
- 出版社/メーカー: 産能大出版部
- 発売日: 2004/07/15
- メディア: 単行本
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ここでは、「分かる」とは
「分かる」とは「きちんと分け尽くされた状態を得る」こと
P152
私は腑に落ちた。「分けられないとき」もとい「分からないとき」。人はモヤモヤするというか、自分の言葉で説明できないということが起こる。
じゃあ、どう分けるか。これには2種類あると考えた。
- 思考する
- 外に出す
1.「思考する」について
ここでいう「思考」は、違う言葉で括ったり、関連付けたり、置き換えたりすることを指す。
思考ツールに関する本などによく書かれていること。
そして、これは主に頭の中で行われている作業を指す。脳の働きで「分かる」ための作業が進められる。
2.外に出す
頭の中で作業が進められなくても取り合えず、自分から切り離す。
「分かつ」というイメージの「分かる」。
これには
- 書く(現代では入力するもある)
- 話す
などがある。
どちらにせよ、「分かる」ことが大切で、脳の中だけで「分けられる」こともあれば外に出すことで「分けられる」こともある。
そこで、脳がスッキリする気持ちよさの理由に気づいた。
なぜ脳がスッキリするのか
それは「分かる」から、つまり「分けているから」である。
特に「外に出す」方が、「分かる」ことが必ず発生する。なんであれ脳の中からは「分けられる」からだ。
これがすごいなあと思うのは、「分けて」頭から離れて、情報が抜けてスッキリするのではなく、外に出した方が結局定着して「分かる」が起こっていることである。
つまり、「分ける」っていうことを優先すれば、学びが深まる可能性が高いと思う。
そして、「思考」も「外に出す」も行えるのが「思考ツール」で、いかに有効が分かった(そう分けて理解できるようになった)。
自分ってなんだっけ
「自分」とは何か。これについて長い間考えているけれど、「分」があることが面白いとずっと思っている。
「自」は、鼻でしかないのだけれど、それだけでなくなぜ「分」もついたのだろうと思っていて、ここには「分けられた自(自分)」という意味が含まれているのではないか、と考えた。
つまり「分けられる・分け与えられる(受け身)」「分けられる・分け与えられる(可能)」自分である。
「自分から分かれていった自分」も「誰か(何か)から分けてもらった自分」も自分ってことだ。広範囲に渡る、関わったものと共にあった自分すべてが自分なのだよ、という風に感じた。そして、とても温かい気持ちになった。
自分が自分を感じられないとしたら。それは、「分ける」ことができていないってことだ。
最近気にしているgiveの話もそこに近いと思う。
「分ける」ことができれば「分かる」。それは、書くことかもしれないし、話すことかもしれない。
頭で分からなくても、とりあえず「分かる」を進められる外に出すことは、とってもお勧めで、だから記録は楽しいんだって気づいた。
誰かに自分を分ける。そして、自分は誰かに分け与えられている。そのどちらも自分。
何を?ってのが外に出すことで分かる。
うばい合えばたらぬ
わけ合えば余る
(あいだみつを)
と、「アンパンマン」が浮かぶ。
OPの
"そうだ!嬉しいんだ!生きる喜び!たとえ胸の傷が痛んでも。ア・ア・アンパンマン優しい君は、行け!みんなの夢守るため"
からのEDで
"アンパンマンは君さー"と流れる。
そこで手が止まって目が点になる「自分=アンパンマン」だったというドッキリで今回はここまで。