クリーニング屋の店員さんが、前回出した物を覚えていてビックリした「ハピペン」です。客商売のプロさを感じる。(変なメガネをかけてるからか。)
連日、研修で「発達障害」「キャリア教育」「発達障害」「SST」と受けてすっかり脳が発達障害について考える脳に染まった。
知ったことを書いておこうと思う。
発達障害の人にとって一番大事なもの
これは「理解者!!」。問答無用でそう。
「学力」も「社会性」もさておきでも、理解者さえいれば学校にいられる。
部活の顧問の先生が理解者で他が上手くいかなくても通える。
教室がダメでも保健室の先生が理解者なら通える。
もちろん理想は、なるべく多くの、よりたくさんの大人も子どもも様々な人々の理解者になるべきだ。
気を付けなければならないのは、家庭が理解者でないとき。サポーターでないときだ。
そうした状態で「小学校」から「中学校」に上げるときには、誰がサポーターになるかの入念な引き継ぎが必要になる。
覚悟しておく必要があること
それは「環境の変化!!」。
一番の環境は「教師!」これも忘れてはいけない。
毎年変わるクラスメイト、教師などは、大きな環境の変化。崩れるのは仕方のないこと。
その都度「責めてはいけない」。本当はちゃんとしたい。みんなとがんばりたい。でもできない。だから思春期になって「悔しい」って感情を一番強く抱いている。
環境の変化に戸惑ってしまうことを、受け入れてあげて、優しく諭してあげた方がよい。
環境に適応できれば、本来の力を発揮できる。
環境が変わって、よくない姿が出た時に、これまで教えたことは全部無駄だったのかと焦ってはいけない。
力は蓄積されている。ただ、環境調整がないと力を発揮できないだけ。
一番の環境である教師がいち早く子どもに適応してあげられるといい。
「優しく諭す派」「厳しく責める派」はどこにでもいる
講師の方の発達障害の研究の場においても、きついかかわり方をする人はいるそうだ。
「厳しくしないと甘い考えをもってしまう」と。
ただ、実際はそんなことない方が多いらしい。
伝えなければならないことは、伝えられる関係になってからでも遅くはないと。
ただ、確かに「厳しさが必要なのか」は気になる点だ。
誰でも温かい環境としての教師でいるわけではない。
二つの問いが浮かぶ。
- 環境が変わっても発揮できる力こそ身に付けたと言えるものなのか。
- 環境はどこまで変わってどの子も力を発揮できる場になるか。
1は、その子次第。2は、周囲の環境次第。
もちろん両方の歩み寄りが必要だと思う。
だけれども、どこまでも、環境って調整してあげたいよなって思う。
私たちが誰とかかわるときに身構えないように、誰もが誰かとかかわるときの自然な姿勢をもてるといいなあ。