かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

少しでもシステムで見る

お別れ会で漫才をやりたいなんて言うもんだから、必死に見守る「ハピペン」です。

 

「さてどうする、俺」

(最近鈴木先生にはまっています。)

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 昨日の気づきを書いておく(長くなってしまった)。

 

よくよく考えると、言ってしまえば、特支で働いている人の専門性って謎だ。謎すぎる。しかも、その責任の重さ。

一挙手一投足が、将来に左右していると思う(もちろん通常学級もそうなのだけどね)。

 

一つ引用

幸いと言いますか、ここ1年ですごく言葉も話せるようになってきました。子どもが小学校にあがるタイミングですけど、特別支援学級に入れるかどうか、すごく悩んでいるところです。

私たち親の責任においてこの子の一生を左右する大事な決断だと思っています。

 

どの親御さんも「通常学級に入れたい」と思うのかもしれませんが、実際、望めば通常学級に入れることはできるんです。でも、子どもがついていけるかどうかはわかりません。
お医者さんにも言われたのですが、最終的には親が決めるしかない。子どものことを考えるなら手厚いサポートが受けられる特別支援学級に入れた方がいいのかもしれません。

発達障害の子どもとその親にも寄り添う学習塾!「LITALICOジュニア」の指導員が笑顔を大事にする理由 | soar(ソア)より

特別のつくものに入ることについての葛藤はどのステージにもあるのだと思う。

 

この辺りについて、誰もがどれくらい明言してしまっていいのかは迷う。

 

教師一人の専門性では全く担えない。

教師は子どもとの信頼関係を構築し、専門家たちの専門的な視点から織りなされる必要だと思われる内容を入力する、または入力のために加工するというのが役割なように思う。

 

全くもって自分の専門性を過信しない。頼らない。

 

特別支援コーディネーター、管理職、医療、心理士、療法士、ソーシャルワーカー、相談員、事業所、支援学校など、使える資源を使えるだけ使った方がいい。

当然、そのご家庭の考えであったり、人そのものであったり、合う合わないはあると思う(かつ情報過多で収束やアテンドが大変にならないように)。

安心や歩調に合う理解者を探す。

できれば、12年がつながって見られるような、学校外の視点はあった方がよい。

学校は、教師の考えで流れる。ただし、子どもたちは1年契約でいろいろな経験をというタイプが多くはないと思っている。それをやりつつも、第三の視点がいる。

 

結果、経験則になるのだけれど、そうすると、関係者の精神的にも、実際の育ちにもプラスなことが多いと思っている。

 

その子の自立に向けて何がいるのかってことである。その子の人生にとって。

学校としてとか置いといて、毎日会っているというのが大きな資源だから、教師がさまざまな人の視点から良いと思われることをするといい。

 

必要な情報を仕入れられるかを考える。

 

昨日保育園からの引き継ぎで、

医療や家と教育機関以外の療育機関等についてどの程度提案しているか、

を聞いた。

園には、専門家が月に一度来ていて、そこで発達や指導に関する知見を手に入れているとのことだった。

 

知らなかった。

つまり、お家の方も、システム上そういうものだということで、埋没する可能性があるということだ。

 

その状態で小学校に上がれば、小学校はそういうものなんだと進んでいってしまうかもしれない。

はじめに言った、専門的な知見なしで、特支で働いている人の専門性は謎にもかかわらず、信頼して流れていくっていうことだ。

もちろん、いや、教師が専門性をもてよ!ってのもある。特支1年目には専用の研修もある。

 

しかし、教育の原点と言われるような、人間を多様な視点で理解する(社会、心理、発達、権利、哲学など)ことは、簡単ではない。それぞれに頼りたい。

 

だから、話し合いながら、第三の目や機関を提案していく必要がある。と分かった。ご足労はかけるかもしれない。でも、リターンは小さくないと思う。

(そしてこれは、自動的には手に入らない。声をあげないと手に入らないもの。)

 

もちろん、そうしない方法もある。

基本はお家の方の要望は第一なので、合意を得て、目の前の課題に対して計画を立てて教育すればよい。

 

ただし、その穴は、お互いの知識からしか出てこないってことだ。

その子を見る視点は多様で、未来に少しでも即しているとよい。

 

少なくとも、その子についての専門性は基本的にお家の方が上だし。学校の教えたいことは、相応しいときと相応しくないときがある。

ベースは、願いなのかもしれない。現実的な願い。

自立につなげることと言いたくなるが、違和感があるので、「笑顔と自立」と言い直してみる。結果、その子の「笑顔と自立」につながっていればよい。

 

あと半月で今年度が終わる。5年間お世話になった子どもたち。1日だって退屈しなかった。

もうすぐ終わる。

 

私が、ブログで、学校の教えは本当に意味があることをしているのか。と、のたうちまわっているのは、彼らとの教育が未来に直結すると思うからだ。

 

教育の原点と言われるものを、私の脳がスッポンだからわずかばかりかもしれないが、学ばせてもらった。この幸福は死ぬまで絶えない。