久しぶりに朝ご飯も夜ご飯も家で食べられた「ハピペン」です。
何気ない月曜日始動。
先週は2学期一週目。みんなはりきっていたと思う。
子どもによっては、上手に休めず体調崩す子もいるだろう。
いつもより頑張って頑張るのではなくて、普段から力の出し入れを意識させてみたい。
子どもにそんなんできるかってね。いや、でも、運動会もあるからさ。
月曜!一発目の2年の挨拶!!
「楽しい一週間がはじまりましたね〜!!」
教室に大きい声で言いながら入ってくる。
「いや、オレは、今週は力抜こうって」言いたかったんだよ。
でも、その意気込み嫌いじゃないぜ!
っていうか、自分が蒔いた種だ。
先週は「一週目!とりあえず楽しもう!」とか「金曜日!明日は休みなんだから今日全力でいいんだよ!!」とか叫びまくっていた。
子どもたちは、そのノリを持ち越しての2週目に突入である。
「いいぜ!受けて立つぜ!」と挨拶を返す。
4年が出した今週の目標!
「じゃあさ、『みんなで力を合わせて勉強する』っていうのは?」
いいねぇ〜ジワるなあ……。
みんなって1年から6年??教材考えるの大変なんだよっ!!
よーし!これも受けて立とう!そう実感させてやるぜ!
鬼ごっこでタッチされそうになると「たんま!」っていう1年!!
それなんなん!いつからあるルールなん?!
鬼ごっこの趣旨って何???
自分が捕まえられない時の惨めさが嫌なのか?自分がつかまっちゃうっていう劣等感が嫌なのか?
前にやられた悔しさから自分もやっちゃえって感じ?
まあ!それも受けて立とう!たんまを受け入れて違う子を追うぞ!
オレが嫌な気持ちになるまでは、ね。
アサーション、アサーション。
それを受け止めてどうするかは、君たちが考え選びたまえ。
それにしても、たんまは「キングオブずるい!」な気がする。
その瞬間瞬間、自分が楽しい選択をするのもいいけど、自分が何を楽しみたいのか、優先順位を見失わないで楽しんでほしい。
まあ、それすら、何かしらのアピールなのかもしれないけど。
結局、子どもは話したいだけかもしれない。
一緒にやっていた1年の一人は「今度サッカーの試合があるんだ!」と話していた。
「おう。クラスで言えクラスで」と思ったが。言いにくい場合もあるし、誰にでも言っているのかもしれない。おそらく後者。
「へえーそうなんだ。」
「うん、日曜日!」
「出んの?」
「うん!」
「そうか!頑張れ!」とジェスチャー付けて言う(頑張るの手話)。
いい笑顔だった。
あと、大人が遊びに入ると子どもの時間を奪ってよくない。学級経営って観点で遊ぶのも大事だと思うけど、いろんな子が「入れて!入れて!」となって、他の遊びが壊れる。
私が結構イラっとする「遊びブレイカー」になってしまうのだった。
それにしても「たんま」について考えた。たどり着いた頭の中は以下。
「どうしてそれをやるのか?」
子どもの行動のすべてに「どうしてそれをやるのか?」を当てはめて考えることが可能だ。
子どもは意味なく何かをしない。それは、大人もだろう。
人は意味なく何かをしない。
必ずそこに何かはある。
その大抵は本当は言葉化できないものだろう。
それでも、学び、知恵をつけて言葉化していく。
その先で、自分の思い寸分狂わず一致する表現に出会うかもしれない。
「=それが、自分を自分であると思えるきっかけ」みたいに感じているところがそもそも危険な気もするけど。
自分は決して固定できない。
本当は解き放たれたい本能があるのに、それをある自分を固定的に捉えて押さえつけて仮固定することが社会生活や真の学びみたいになっているところがあるような気がする。
私たちは生きたいように生きていい。
明日、今日見つけたそういう絵本を紹介しようと思う。