かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

41日目:それでも子どもを信じられるか?

少し落ち着いた……ハピペンです。

 

綱渡りが続く。

 

だけど応えてくれる子どもがいる。

私の考えを越える子どもがいる。

そこに感動がある。

教師の醍醐味はこれかもしれない。

 

Cさん

「これって良いことなんだよね?」

って自分を良くしたいって思って、教師の予想を越えてくるのだ。

 

その行動は周りの心も打つ。

周りの行動や見方が一気に変わる。

思いがあって、自分を見つめて動いて、行動を変えられるってのはすごいことだ。

そのアイデアが、固定概念を壊すものであったのもすごい。

 

もう一人、自分を越えられる子がいる。

 

Dさん

この子もすごかった。

自分を越えた。

直した方がいいことを受け入れている。

 

話が終わって泣きながら「ありがと」って言われた。

 

子どもは誰も彼も良くなりたい。

それでも簡単には良くなれない。

言葉では簡単に答えが出る。大人は平気で正解をプレゼントする。言われなくても子どもは分かっている。

 

ただ、ほとんどの問題は感情のコントロールでしかない。言葉を知っているかどうかではないのだ。

 

「それは、Dさんのこれから直していく課題だ。そしてEさんの課題はこれ。二人は、お互いを成長させるには、ベストコンビだよ。いちいち嫌な気持ちになるだろうけどね。お互いまだ子どもで練習中ってことだろ。失敗していいんだから、自分も許して相手も許せ。」

といようなことを言ったと思う。

 

子どもには失敗していい環境が必要だ。

「失敗していいって思える環境」っていう方が正確。

今日なんでそう思わせられたのだろう?と振り返りたい。

 

子ども同士も私も許せたからだとは思う。

どうしてそういう雰囲気になったのだろう。

 

良く聞いたこと(結局、これも「パセージ」の意識がある)。

自分は悪いのではなく、良くなる過程にいると感じさせられたこと。

 

まあ「未来は明るい」って思わせられたのが大きいってことかもしれない。

 

苦肉の策はとても有効で、子どもを誉めるしかない日々が続く。

 

パーフェクトサポート。

 

絶対出来て誉めるしかない支援。

 

前にプリントの裏に答えを書いたものを作っこともあった。

この子は一問でも分からないと、プリントをビリビリに破る子だった。

 

サイアクの場合は裏に答えがあり、ほっとして最後まで学習できる。

その時のこの子の課題は、まず授業中に座っていることだったのだ。

 

話をいろいろ戻すと、Dさんはその後、私の困りを見つけて「やってこようか?」と助けてくれた。

 

そんな子がもう一人いる。

嫌なことをされたとメモを持ってきた子は、その嫌なことをしてきた子がこぼしたものを、サッと雑巾をもってきて拭いてくれる。「これでもう大丈夫!」なんて言ってくれる。

 

強いクラスになっていってほしい。

もう少しだろうか。もう一歩。これから。だと思う。

 

信じて勝つ!