少し落ち着いた……ハピペンです。
綱渡りが続く。
だけど応えてくれる子どもがいる。
私の考えを越える子どもがいる。
そこに感動がある。
教師の醍醐味はこれかもしれない。
Cさん
「これって良いことなんだよね?」
って自分を良くしたいって思って、教師の予想を越えてくるのだ。
その行動は周りの心も打つ。
周りの行動や見方が一気に変わる。
思いがあって、自分を見つめて動いて、行動を変えられるってのはすごいことだ。
そのアイデアが、固定概念を壊すものであったのもすごい。
もう一人、自分を越えられる子がいる。
Dさん
この子もすごかった。
自分を越えた。
直した方がいいことを受け入れている。
話が終わって泣きながら「ありがと」って言われた。
子どもは誰も彼も良くなりたい。
それでも簡単には良くなれない。
言葉では簡単に答えが出る。大人は平気で正解をプレゼントする。言われなくても子どもは分かっている。
ただ、ほとんどの問題は感情のコントロールでしかない。言葉を知っているかどうかではないのだ。
「それは、Dさんのこれから直していく課題だ。そしてEさんの課題はこれ。二人は、お互いを成長させるには、ベストコンビだよ。いちいち嫌な気持ちになるだろうけどね。お互いまだ子どもで練習中ってことだろ。失敗していいんだから、自分も許して相手も許せ。」
といようなことを言ったと思う。
子どもには失敗していい環境が必要だ。
「失敗していいって思える環境」っていう方が正確。
今日なんでそう思わせられたのだろう?と振り返りたい。
子ども同士も私も許せたからだとは思う。
どうしてそういう雰囲気になったのだろう。
良く聞いたこと(結局、これも「パセージ」の意識がある)。
自分は悪いのではなく、良くなる過程にいると感じさせられたこと。
まあ「未来は明るい」って思わせられたのが大きいってことかもしれない。
苦肉の策はとても有効で、子どもを誉めるしかない日々が続く。
パーフェクトサポート。
絶対出来て誉めるしかない支援。
前にプリントの裏に答えを書いたものを作っこともあった。
この子は一問でも分からないと、プリントをビリビリに破る子だった。
サイアクの場合は裏に答えがあり、ほっとして最後まで学習できる。
その時のこの子の課題は、まず授業中に座っていることだったのだ。
話をいろいろ戻すと、Dさんはその後、私の困りを見つけて「やってこようか?」と助けてくれた。
そんな子がもう一人いる。
嫌なことをされたとメモを持ってきた子は、その嫌なことをしてきた子がこぼしたものを、サッと雑巾をもってきて拭いてくれる。「これでもう大丈夫!」なんて言ってくれる。
強いクラスになっていってほしい。
もう少しだろうか。もう一歩。これから。だと思う。
信じて勝つ!