久しぶりに早起きが出来た「ハピペン」です!っていうのは、結局早寝が大事!!
今日もヤフーニュースで気になったことと自分の考えを紐づけてみる。
以下のニュース。
学校の指導
給食が残るなら、給食をおいしくすればいい。ってのは短絡的だけれど、子どもたち思いの指導だと思うなあ。
贅沢だとか、なんでも有り難く頂戴する心を育めとかいろいろあるだろうが、その前にできることはあるだろうと思う。
お米マイスターの「西島豊造さん」が、お米がおいしければ子どもは勝手に三角食べをすると言っているのを聞いたことがある。
学校では、美味くないものを、作法だからといって怒られながらみんなで昼ご飯を食べる。
ニュースの文末も、学校に指導をお願いしているとある。
残量を減らせとの命が出て、子どもたちはどう言いくるめられて食べさせられるんだろう?なんて思ってしまう。
偏食と感覚
発達障害の子たちの中には、感覚の影響からか偏食な子も少なくない。
そうした子たちは、通常学級において、「ちゃんと食べなさい!」「残さないで食べなさい!」「減らした後は全部食べなさい!」など、担任の謎の死生観に則った指導を強制的に受けて、食べることを強いられる。
私は子どもが食への喜びを失っていく方がデメリットが大きいと思っているが、その学校にいるベテランがそんなだと、若手もみんなそんな指導をしている。
食べることを強いる。給食ならず強食の時間である。
教育には、長期的な目線での改善がいる。
というのも、感覚への対応がどれだけシビアか聞いたことがあるからかもしれない。
砂の感触が嫌という感覚過敏であれば、最初は一瞬一粒なのだ。
それでもめちゃくちゃ誉める。
そうやって徐々になのだ。
牛乳が嫌いな子であれば、もちろん味覚が出来上がってくると言われる8、9歳までに、牛乳になじむ必要はあるかもしれない。
ただ、そこの発達に偏りがあるわけで、8、9歳までというのがそもそも当てはまらないかもしれない。
そうやっていろいろ考えて、やっぱり6年までに飲めるようにスモールステップだっていいと思う。
1、2年でやらされているのではなく、価値が入っていれば継続してチャレンジするだろう。
(肌感覚では4年までは新しい価値も入れられる。5、6年になると嫌な価値は入りにくいと思う。味覚ならなおさら。)
ただ気をつけたいのは、感覚に慣れていくってことはないと思った方が良い。感覚に耐えられる耐え方考え方が分かってくるというだけと考えたい。そして、子どもがその感覚が苦しいことに変わりはないのだ。
お酒を苦手な人がウィスキーを飲むことに近いかもしれない。
感覚については、アレルギーと違って死なないからって、教師はここぞとばかりに指導が強くなる。
食べ物を粗末にしてはいけないという大義名分があるからだ。
価値観が多様化した分どの人間もが批判しにくいことは堂々と強く指導する。
そういう事例はこの先さらに目につくと思う。
食育は、学力・徳力・体力の基盤とされ、生きる力の基盤と言われる。
だからこそ指導が強くなっているならよいが、そう思って給食を大事にしている人が何人いるだろうか。
そして、それくらいに重要なら、給食指導は学校で統一してほしいと強く思う。
- おかわりのルール
- あいさつの仕方
- 残し方
- 配膳の仕方(並び方、量)
- 下膳の仕方
- 食べ方(黙るorしゃべってよい)
そういう学校があると最近聞くのでこれから増えていくと思うが。
「ハピペン」だったら
給食のルールを考える。
とにかく大きなテーマは「楽しむ」だ。
- 配膳は、座って待つ、歩いて運ぶ、自分と班の人のをつくる。
- あいさつは、笑顔で手を合わせる。上手な子を誉める。
- 食べ方は、楽しい話しかしないこと、前半黙って食べ、後半は状況に応じて話してよい。
- おかわりは、班ごとに聞いていく。それでも余ったらジャンケン。声の大きいやつが得られるってことをなくしたい。(おかわりは、学級経営の中でも重いと思う。崩壊したクラスで、担任が変わってどんなクラスがいいかを聞いて「安心しておかわりできるクラス」というのが出て、これは指標の一つになり得ると聞いたことがある」)
- 残し方は、好きに残していい。ただ、無理はしなくてよいがなるべく食べろとは言う。がんばって食べた子はきちんと誉める。残量が多かったときに子どもたちに話題として取り上げ話合わせたい。
- 下膳は、一人ひとりか、班でまとめてかは実態に応じて。
そして「タイム、事故率、db(騒音度)、楽しさ」などを測って、全員が楽しい給食を追求してみたい。
食べる時間が多いこと。
アクシデントがないこと。
騒々しすぎないこと。
これらが、楽しさにつながると考える。