雨ニモマケズ風ニモマケズ……サウイウモノニワタシハナリタイ「ハピペン」です。
「なりたい!」って大事!そうでなくてもいいんだけど、そうなりたい!!
そしてこれは「在り方」の詩。
「なりたい」は「理想」。
ならば、その「なりたい」にたどり着くための「現在地」を見つめたい。
「なりたい」といった目指す先の話をするときに、よく航海をしているときの「北極星」が例に出される。
「北極星」を見つめて「軸」をつくる。ブレないようにする。目移りして結局何も残らないということをしないようにする。
たとえば、夜空には、北極星以外にもキラキラているたくさんの星がある。
綺麗だなーとそれを見つめていたら、別のルートへ入ってしまうかもしれない。
星を見ているならまだいい。目の前に映る水平線ばかり見ていたら、現在地を見失い、迷う。
そして、北極星の話が通じるのは、北半球での話。南半球では、南十字星をもとにするらしい。
お互いの空にない星を見て、行き先の正しさを力説していては、お互いどこにもたどり着けない。
これが、教員の世界によく当てはまると思う。
ちょっと極端な話だけど、「航海=教育」だとしたら、星空の例でどの教員にも共通するのは
- 「夜空を見上げていること」
- 「安心・安全な航海を行いたいこと」
- 「目的地があること」
だろう。
1は、何を定点とするか。私は「実態」と「目標」と思う。
2は、1に合った「実践」。
3は、「目的」。
この3つをバランスよく話せると、教育を共創しやすいかもしれない。
私よく思うものがもういくつかあって「時間軸」もあるし、「自分軸」「子ども軸」「社会軸」「学校軸」で、いろいろな立場で語られることがある。
そして、その立場を語る「背景」がある。
「経験(実践知)」「感情(直感)」「学問(理論)」「実態(社会or目の前)」「データ」など。
よく「教育に完璧はない」「教育については一億総評論家」と言ったり聞いたりしていたけど、もしかすると、こうした3次元的なデータをファシリテートできる人がいないか、対話して納得解を共創できる人がいないのかもしれない。
そして、「自分軸」と「理論」で来られると苦しいかもしれない。
警察官だった人の話を聞いていてそう思った。
その話には「将来犯罪者になったら」という文脈があり目の前の子がいないように感じた。
その人にとって子どもは犯罪者予備軍でしかないのである。
そして「時間軸」。いつかの子どものために、今を否定するだけでは、子どもは結果予期しない方へ流れていくように思う。
いつかの幸せのために、今の幸せを積み上げていくことが、子どものこれからの幸せにつながっていくと私は思っている。
私は、今厳しくして、将来犯罪者にならないようにするためだけに教育に携わっていない。
そして、私の強固な観念さえ、誰かが見れば似たようなものなのだ。
「ゆるさ」を持ちたい。子どもも教育者も包摂するような。
ふと浮かぶ、私が思う、大切にしたいことは、「人々がこの世の中を信頼できるくらい、人々をいいなって思えること」だ。
子どもたちは、それで、授業中に眠らなくなったり、学校を楽しいって思えたり、自分や友だちの成長を喜んだりできるようになっていると感じるから。