やーっと金曜が終わったね!「ハピペン」です。「帰り道に好き勝手書くシリーズ第3弾」(そういうコーナーだったんだ)。
やっぱり、ある程度「その場にいる」っていうのは必要だよね。
今日になってはじめて何気ない話をした先生がいる(非常勤で職員室ではなかなか会えない)。
そうした先生のことを知らないし、向こうも知らない。そして、これが、私とほとんどの職員の間で起こっているのだろうとも思う。
今年度の平均帰宅時間は早い。昨年、一クラスで13人見ていたってのとまた違うし。
だから、私のパーソナリティは「掴めない人」くらいなもので扱われていると思う。
これは、ブーメランで、私が重要視しないから、私も重要視されないっていうよくあるパターンだろうと思う。
支援について流布することを目的とするなら、もう少し居座っていた方がいいだろうか。
まあ、それは分からないから、情報は置いて、選択してもらうことにしよう。とにかく悪いものではないと思うから。
感度が良く、使える人から使ってもらおう。
今日のテーマは、「ダブルバインド」。「二重拘束」これは、結構、苦しいやつ。子どもは萎縮して、言われたこと以外やらなくなる。自分の矛盾に気づける大人でないと、解除できない。
ある授業のシーン。先生は「友だちと協力して!」と言っている。
しかし、それが班を跨いでいいのか、立ち歩いていいのか、終わったらなのか終わらなくてもなのか、この次の作業もなのか今の作業だけなのか、子どもたちは怒られないために保守的になって身動きできない。
手伝いから戻るのが遅くてもまた怒られるしね。
子どもは(というか人は)、それをする方が得だからする。得がなければそれをしない。
もし素顔を晒させたければ、本質的な自主性に行きたいなら、ルールはとことん緩くて、そしてブレないことだ。
今日も支援級理解の授業をした。
数名、筆箱をいじり続けて聞いている子がいた。それで聞いているかというと微妙なのだけれど、悪気はないと思う。
そして、私は「自由に聞いていい」とも言った。
ちょっとイラついたり、ここはさすがに聞けよって思ったりもするのだけれど、気にしないことにした。
自分の話力が原因だし、そもそも、そこをただ「注意」で正すのではないって話をしているのだから。
寛容にした先に、問題が浮かび上がり、先生はブレないで見守り、自分ごととして提示し、チームとして、自分たちをよりよくしていくために考えさせたり、解決させたりする。
教師がそれはあんまりだと言って、強行に出ると、上手くいくときもあれば、こけるときもあると思う。
何度向き合わせてもダメなら、何度も向き合わせるまでだ。しつこく。
昨日は伝わらなかった。なら今日はどうだろう?
私は教育において諦めないということを一つポリシーとして持っていたいのだなあ。
強みとして「諦めが悪い」ってのがあるかも。
まあ、単に選ばせりゃ子どもはそこそこ選べると思ってんだけどね。
誰も悪くなりたい人間なんていないんだよ。
悪くなりたくなっちゃうのは、誰かに傷つけられたから、そうしたまま放っておいた世界への逆襲なんだろうと思う。
12月一発目これでいいのかー???
昨日書いた「ストレングスファインダー」の話。「ハピペン」の強みも見られます。
【ストレングスファインダー】「運命思考」がTopというところに「う~ん。だけど、やってよかった!」 - かならず幸せになれるいきもの