かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

覚悟?

3/16に本当はこっちを書いていたのだった( ̄◇ ̄;)ハピペンです。

 

自分の覚悟をメタしよう。

 

特別支援から通常の学級へ(今更なんだけれど、通常の学級の別の言い方ないのかね。文科に則っているのだけど、うーむ)。

 

何を実現しようと?

何を頑張ろうとしているのか?

 

これは、何を研究しようと?  にも似ているなあ。

 

私は、「人と関わる楽しさ」「どの人間も生きていていいという実感」「やってみたい!自分を成長させたい!と思えること」を味わわせる。

結果、「生きるって楽しい」と思わせたい。

 

しかし、それには「知識・技能」がいるなあと思う。

 

そして、それをもとに「創造すること」「思考すること」。

 

これは「表現」とも言えるかもしれない。

その中にある「判断」。

 

当然に「言語」「情報」「問題解決・発見」にもつながる話だ。

 

どれで括るか、どの言語で共通理解するかでしかないだろう。

 

いろいろ掲げたいことはある。

 

規範意識と学力でいくと、一応の目指すところは分かりやすい。でもそれだけじゃないところを見たいのが今の私。

『エピソード記述』なんて思いっきりそう。

 

だから、子ども一人ひとりの内面に織り成されているものを見たい。

 

学びの拠点としてのクラス。

個人内の評価を称賛し合いたい。

 

それを実現するための指導技術。

そんなん、一生追うものだと思うから、完成させようとかはないけど、意識して取り組んで、子どもの姿を思い知れるような自分では在りたい。

 

たとえば、とりあえず。居心地のいい学級ではありたい。否定を恐れなくていいような。

低め合い、落とし合い、見下し合い、貶め合いみたいなのは嫌だ。

 

今日も、来年「◯年◯組で、担任がハピペンだったらいいなー」と言ってくれた子がいた。

 

それを流すしかない自分って不誠実だなあ。

本当になんか申し訳ない。期待に応えてあげたい。その子が楽しいって安心できる学級をつくってみたい。

 

でも、そうできない。本当にごめん。 

この子の言葉を宝物にして来年すごい頑張るんだ。

「卒業式の日もハピペンに会いたい!」とか言うんだもの。