ちらっと時間を見たときは5:30で、次に気づいたときには6:09。なぜか?
地球は回るから。
ああ、ホント勘弁してほしい……「ハピペン」です。
昨日は、今週のモヤモヤの中でも最高潮な日だったけれど、フタを開けてみれば、ワクワク最高潮の日になった。
モヤモヤは、ワクワクにつながっているのだ。
そして、そのワクワクは先哲の考えによって導かれることがある。
この世界には、自分が抱えているものを無駄でないものにする考えが必ずどこかにあるのだと思う。
問題は、マッチングだ。出会えるか。出会えたならがむしゃらに突き進むべきか???そこは冬休みに考えていこう。
レジリエンス研究を20年も続けている教授と話す
その教授の方が「児童心理2014.8」で書いていたもの。
子どもの精神的健康を損なうものは初めから防止し、あるいはごく初期から支援をしなければならないのである。
児童心理2014.8
私は、自尊感情は学校で高め得るのか? という問いをもっていたが、低めないには? という問いも抱いていた。
上のセンテンスは「低めないこと」についてのシンボルになるセンテンスだと感じた。
教授からの教えてもらったこと
他にも教えてもらった
- 研究するときに忘れてはならないこと。「自分が一人の子どもにだったとしてもプラスの影響を与えたいという志」
- 「本当に必要な問題は研究する価値がある」
自分がこれまでやってきたこととのつながり
自分が抱く課題感は、誰かしらにヒットしていて、リンクしている
自尊感情を下げないってのは、公を担う指導をしている仕方ない、難しいと言われるかもしれない。
しかし、先生だからって、公を担う仕方のない立場にいる者だからって、自分をそう捉えなくたってよい。
そこに何かある、やり方、戦略はあると思いたい。
できないとすれば、できないシステムが悪い。
昨日中、snsで盛り上がっているウーマンラッシュアワーの漫才があるが、そのできないシステムの中で、だからできなくてよいと、システムに埋没することが一番よくない。
自尊心を高める、回復するということは、簡単ではないし時間がかかることと言っていた。
仮説としては、学校で失った自尊心は学校で回復し得るとは思う。
当然低下、傷の度合い、具合、深さにもよるけど。
自尊心を高めるための複雑さは、そもそもの養育者との関わりも重要になってきてしまうためだそう。
もし回復したいとすれば、関わる人の自己犠牲が少なからず必要になるだろうということだった。そこまで思ってくれていると感じさせるような、わざわざを繰り返すってことだ。
働き方改革と反する価値観だと思うが、そんな中、それが必要な子がいるのだと思う(ここが思うなのは微妙なのだけど、大人になっても自己肯定感が低いという悩みが散見されるので、大小あるだろうけど、そこら中にやたらに傷ついている人はいると考える)。
自尊心を高めるということを、学校で担うのは、やはり簡単ではない。そうなると、できることは、「自尊心をやたら下げない指導」ということだ。
たとえば、ある子どもの行動が社会に合わないとする。好きに指導してくれていい。
しかし、その場で教師が与えたい活動に子どもが合わないことは、その子か社会に合わせられないことは、その子から自信や生きる気力を奪っていい理由にはならない。
傷つかなければ指導ができないとすれば、それは指導法か内容が間違っている。どちらかを何か変える。システムの方に目を向けて。
自分はすでに始まっていて、それをキャッチする。そして、それをリリースする。
簡単ではない。
どこへ?どうやって?どんな風に?何を?いつ?マウンドから見える景色を整理する。