早く帰ったし、しかも楽しいことが待ってる!いいこと二段階!「ハピペン」です。
昨日、早めに帰れるかという些細なことも今週モヤモヤの一つだった。無事済んで嬉しい。
さて、今日は自尊感情について振り返ってみたい。「ハピペン」は、なぜ自尊感情を語り始めたのか。
上がらない自尊感情
思えばきっかけは、子どもだ。
「自分なんていらない」って思い込んでしまっている子。さまざまな養育歴。その中には不遇なものもある。どうすれば、自分の命を前向きに捉えられるだろう。
国立教育政策研究所がいうように自己有用感にフォーカスしてみる。
このクラスでよかった、友だちに大切にされてると思うって数値は上がるものの、自尊感情の数値は上がらない。
「何かやり方が違う」と思った。
そこで!デニス・ローレンスの本に出会う。
この本は、私が初年度に組んだ先生が持っていた本だった。
【伝説の板書】自分ならどうするか。私を鍛えてくれた先生の話。 - かならず幸せになれるいきもの
- 作者: デニスローレンス,Denis Lawrence,小林芳郎
- 出版社/メーカー: 田研出版
- 発売日: 2008/09
- メディア: 単行本
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一昨日、教授と話していて、当然に「なぜ自尊感情について考え始めたのか?」と聞かれた。
私は大いに言葉を詰まらせてしまったのだけれど、口をついて出たのは「なぜ人は死にたくなるのかを10年くらい考えていて行き着いた」と伝えた。
教授は、それを受け取ってくれて、その考えと関連する研究を教えてくれた。
そして、自尊感情に関する研究で「誰か一人でも命が救われるとしたら、その研究には十分な価値がある」という話をしてくれた。
心が動く話だった。
ルーツと東尋坊
私は、ずっと結局そこなのだ。
自殺の問題。
東尋坊に行ってもそう感じた。
人が自分に価値を感じられなくなったとき、自殺の名所へ足を運ぶ。
最後の日。なんとなく。そこが死にやすいかなと思って。その残酷な日にも人は自分にとっての良さを求める。それは「生きたい」ってエネルギーはどうしたって消せやしないってことを表していないだろうか。
茂さんが声を掛けて自殺を止めた人はみんな泣くって言ってた。本当は死にたくないんだ。
生きさせてほしいんだ。情けなく誰かにすがって、コントロールされて、生き方を導かれて
依存しきって、教えてもらって。
ただ、その先に「自分を生きる」ってステージが待っていると思う。
ケガがひどければ入院するだけの話で、生き方で傷つきすぎた人は立ち方を思い出させるための誰かの寄り添った時間が必要になる。
こういう観点が引き寄せる盟友たち
何か約束したか? っていうと微妙だけど、言葉にはされてないけど、お互い「生きよう」ってのは約束してるように思う。
- 自分が死にたかった人
- 身近な人を亡くした人
そういう人たちに話を聞かせてもらうことが何度かあった。
何人もが「ハピペン」は否定しないかもしれない。話して大丈夫かもしれない。と思って語ってくれたと思うと本当に嬉しい。
私は、その人たちが困ることがあればいつだって助け舟になりたい。
総じて
「間違いなく『生きるってのは楽しいこと』だ。」
それを、踏みにじっている奴らのせいで悲しんでいる誰かがいる。
それが許せない。それだけが許せない。
自尊感情。
「ありのまま」の「自分の在り方」。
それに土足で入り込んで傷つけている人がいる。
それじゃ「生きた心地がしない」だろう。
「自分はこのままで存在してはならない」というメッセージ。
少しなら耐えられる。
生きていることへの愛情を感じられる場が一つでもあれば耐えられる。
小さい頃の揺るぎない幸せな風景が一つでもあれば耐えられる。
ただ、それがなかったらきつい。ドギツイ。
生きるってことがなんなのか分からなくなるだろう。
大人が「それが『当たり前』だから」と感じていることと、子どもが「それは見たことも聞いたこともないんです」ってギャップを埋められるといい。
お前にとって都合が悪いから、ストレスだから「そんなこともできないのか?それが普通やれ!」はおかしい。
たとえば、唯一子どもを作り変えられるとしたら、私は「内発的動機付け」によってだろうと思う。
「"変わりたい"によって"変わる"」、そして、それが難しいとしたら、そう思わせられない環境や社会を否としたい。
挑発的に。
ほらどうしたんだ?
なにお前 愛出し渋ってんだよ
ほらどうしたんだ?
無い愛を作って叫んでみろよ
愛をぶちかませたなら。
一番本当に悔しくて許せないことは
この特別な才能を持って産まれて来れなかった事なんかじゃない
この世界の
どうでもいい心ない言葉やただのフレーズに押しつぶされそうになって
全てを一瞬で捨ててしまいそうになること
未来もこの命も
どうでもいい心ない言葉やただのフレーズで子どもたちを押しつぶしたくない。