バスに乗るのに並んでいたら違う列で驚いた「ハピペン」です。
ドア閉まってるし!前のドアに行って「すみません」ってしたら乗せてくれました。
「メタ・ジャッジ・意味づけ・コンテクスト」
最近気にしている言葉。
価値観が多様化した。
大きな物語はない。
ゆえに、なんとなく進めることが難しくなってきた。
承認と圧があるから、かろうじて伝統を享受する。
その需供が合っているから生き残る一斉指導。
違和感の一つは、全員参加のためにエキセントリックなアイデアを出しても、その奇抜性や新奇性から人を惹きつけられるとしても、それがシステム化しなければ再現性がない。
そのいかに思いつくかのシステムがないと「思いつく」を待つしかなくなる。
何が言いたいかっていうと、「教師の成長はあるか」ということが言いたい。
他の職場でも求められるような人間かが気になる。そう考える必要はないのかもしれないけれど、そうして時代に取り残されたような人が、公として存在するよさってなんだろうか。もちろんあると思う。
不易や人間としての理想はずっと教えられると思う。
ただし、社会とのバランスも必要だと思う。
文脈が読みづらい時代。
一斉伝達でなく、一人ひとりの文脈を、吸い上げる力いるよね。そういう教師だったら、ほしいところありそうだよね。
結局「ファシ力ほしいーーー!」ってことが言いたい。
「挙手→言わせる」指導ではなく「全員が伝え合える授業をしたーい!」ってこと。
そのためには、「メタ」「ジャッジ」「意味づけ」「コンテクスト」がいる。
- メタ:自分を内観できること。
- ジャッジ:その考えはファクトか個人的なジャッジか意識すること。
- 意味づけ:考えや起こっていることの他者にとっての意味を伝えられること。言語が重みをますが、言語を越えて意味づけし(ジャッジが入ることになるが)他者を理解すること。
- コンテクスト:当然にその他者の生きてきた歴史性を尊重すること。その人から生まれる意味づけを良しとすること。
そうして、意見が出ない人からも意見を出し、集団の学びを高めるには、目的ベース、場作り、問いかた、合意形成などファシ力がいる。
一人ひとりを生かしたい時代、生かすことが求められている。
個のキャリア教育。
「ファシ力ほしいーーー!」って話。