かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

人としての基本がおろそかになっていく

昨日は1mをいっぱい見つけた「ハピペン」です。いろいろな1mを子どもと探す。

「ドアの1mどーこだ?」と指で示させ1mものさしをあてがう。

 

一つ思うのは、教師って自分から出る言葉を全部大切にしていて、全部大事そうに並列で語るから、子どもは何が大切か分からない。

 

どーでもいい例えはいいから、今日8回も読んでもらった「まとめ」以上の情報を強く伝えないでほしい。

 

今日大事なのは

「長いものの長さをあらわすときにはメートルというたんいをつかいます。メートルはmと書き、1mは100cmです」

といったことなのだから、一字一句合ってるか分からないけど、おかげさまで私まで次の日になっても思い出せてしまう(算数における5回以上音読は、テクニックとしてすごいと思う。11月に読んだ問題文がまだうっすら浮かぶもの)。

 

「人としての基本がおろそかになっていく」

「人としての基本」。気になる話だ。

 

最近知った雑誌の中で上の言葉が出てきた。

季刊Be!について | アスク・ヒューマン・ケア

 

「人としての基本」そんなんあるのか?

 

文脈としては、ギャンブル依存に陥り、お金を湯水のごとく使っていってしまい、血のつながりも、友人も失っていくような話だった。

 

お金ー。

と考えると、人間らしさの一部は「就労」と「納税」かなと浮かんだ。

 

たとえば、ギャンブルや薬依存よりも、「就労」や「納税」ができている方がよいとする。

 

でも「ただしている状態」では、歪みに出会ったときに、魔がさすかもしれない。

 

ここで、考えたのは、我々の目的は、「就労」と「納税」ができるようにすることだとして、それは「能力」だけでなく「資質」もというようなところで、せめて一時のギャンブルよりも「就労」や「納税」をよいものと思える人に向かって成長させたいということ。

 

やらされるでなくね。

 

ギャンブル依存の人の文脈は、就活で選ばれなくて、時代のせいにして、孤独感や居場所を失ったことによって、陥った可能性が書かれていた。

 

時代のせい……力をつけられなかった教師の責任を考えるくらいはしたい。

 

そういうときめげない。

相談できる。

自分を信じられる。

それでもつながりを楽しいと思えるから、つながりを目指そうとする。

など。

 

それでも、遊戯台のサブリミナルとお金が手に入った体験によって脳のドーパミンに自分が奪われてしまうのだから、教育じゃ太刀打ちできないかもしれないけれど、そんなにも依存のつくものは、抗えないのだと教えるタイミングは必要だろうと思う。

 

ゲーム依存っぽい子ってクラスにいると思うのだけど、そういう子はゲームがやりたくて、生活の中心がゲームになっていて、その何かに自分が奪われる感覚に慣れていて、それが日常なことに違和感がないと思う。

だから、気づけもしないのかもしれない。

パターンを生きているって話ね。

コントロールの質とパターン - かならず幸せになれるいきもの

 

依存ね。

自分依存、他者依存、私たちは◯◯に依存しているから、自立しているわけだけどね。

 

その対象が、「人の基本をおろそかにしないか」が、生きやすいってことなんだろうなあ。

 

どう今の自分。今のパターン。今の自分にある見える化されていない仕組みを越えるか。

 

そして、「意志力」もやはり関係あるかな、と思いながら。

 

スタンフォードの自分を変える教室 (だいわ文庫)

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お時間です。

 

が、追伸。

今更ながら私は左寄りだと先週気づく。

 

その感覚によって「人としての基本」は変わるような気がする。

 

実体のないものを追うか、ゆるい未来を追うか。

 

中庸を得たい。かっこ(笑)いだけど。

中立は、権力が強い方の味方をするとも言われるから、気をつけたい。

 

あくまで、私は自覚的な選択によってそこの立場を取る、と考えたい。