司会や放送をほめられてちょっと嬉しかった「ハピペン」です。良かったことも記録しないとね!
さて、「しあわせ」について考えてみよう。別に本気出しては考えていない(笑)ポルノグラフィティ。
「幸せ」について
「幸せ」が、手枷ってのはよく聞く話で、死刑でなくて、手枷の刑ですんだという喜び。
それが、幸せってちょっと消極的だな、って思う。
じゃあ、こっちなら?「仕合わせ」ってやつ。
「仕合わせ」について
順番に意味を見てみようー。
「仕合わせ」の意味
「仕合わせ」には、「巡り合わせ」って意味がある。「巡り合わせ」が「幸福」ってのは、個人的にとても好き。
私は幸せってと聞かれると「つながり」という言葉が浮かぶ。
そこにある「つながり」を肯定的に享受できることが「幸福」だと思う。
そして、「幸福」でない「つながり」はない。問題はどう捉えるかだ。
だとして「仕」この字の意味も関係するんじゃないってギモン。
「仕」の意味
「仕」の意味に「学ぶ」がある。
おっ!そうなんだ!いいっ!
それじゃ「士」は?
「士」の意味
「士」の意味には、「学問や知識によって身を立てる」「事を処理する才能がある」「役目をもつ」などがある。
それと「にんべん」がつくと「仕」なのね。
まぜこんでみようー!
「士」は「学問や知識を使って解決する」。
「仕」は「学問や知識を使って解決する+人」=「学ぶ」
「仕合わせ」は「『学び』を合わせる」ってこと?
それが「しあわせ」ってこと?
「しあわせ」は「学びを掛け合わせて事を処理する役割を得ることができる人」。簡単に言うと「学べる人」。
逆説的に、しあわせを感じなければ「学び」でないのかもしれない。
自分にとって幸福感(快)のある学びに、自らの学びの本質は眠っているかもしれないってわけだ。