危うく死ぬところだったぜ……ハピペンです。
本当に危なかった、自分って向いてないなあ、いざとなったらやめようくらい思っていた。
毎朝聞いていた音楽も聴けないくらいで、新鮮な体験をした。
私は追い詰められると、頭が痛くなるし、音楽を聴けなくなることが分かった(笑)
本当に新しい自分、貴重な学びの時間をいただいていると思う。
ここ二日間で、気になっていたことを同僚にいくつか聴けたのも心のプラスになっている。
聴いたら答えてくれるって成功体験で、今日も聴けた。
ダイジョーブ……ダイジョーブ……ピコピコ……。
この2日間、いろいろな人と話して、いろいろな人の話を聞いて、いろいろな人に救われた。
「いいから目の前の子どもを見ろ」ってことなんだ。
ななこさん
筆頭は「そこに愛はあるのかい?」の「ななこさん」、2日連続でコメントをくれて、今になって振り返ると泣ける。本当に有り難かった。
なんとか、瀕死にならずに済み、ギリギリのところで立つことを可能にしてくれた。
管理職
20時を過ぎて教室に管理職が来てくれた。そこで話ができたこと、話してくれたことも有り難かった。肩の重さが2t(トン)軽くなった。
SNS
あと偶然見たtweetとブログ記事。
この2つはタイミングよくかなり刺さった。
自己点検に超役に立った。
そして、なんとなく気になっていた。
子どもに放つ「おしい」や「ここまでできた」などの評価する言葉。
これは、裏を返すと結局「できていない」ってことになり、「できない私たち」が強化されているんじゃないか、と思った。
「今、Aさんなんて言ってた?」と聞くのも繰り返していたけれど、その度「できないというレッテルを貼ること」につながってしまっていた。
そうではなくて、もっと「自分から聞ける子」だと信じるべきだった。
私は「空想の2年生」を見てしまっていたのかもしれない。
「着替えが遅い」と誰かが言ったときに、「まあ、自分で着替えれるんだからいいじゃない?」ってのが私。
それが、減っていた。
今日はゆとりがあった。「心に」だと思う。
1時間に一回は、自分がふざけるようにした。
教師がふざける余裕をもちたい。
私はそれくらいでちょうど良いっぽい……。
かつての戦友
そして、旧友とも話した。学童時代共に戦った同士。苦しいときには、気づくと連絡しているなあ。
この人には、死ぬ前に必ず連絡するだろうなって思った。
アドラー心理学
アドラー学会で注文できる書籍が偶然夕べ届いていた。
今月から、「パセージ」という子どもの勇気づけに関する学びの会に参加します。
届いた本を数ページ見た。
それにもめちゃ救われた。
アドラーの考え方ってやっぱり子どもを殺さないようにできているなあって思う。
子どもを見ること、見方、見る観点を思い出させてくれる。
特に心に響いて、全身に電流が走ったのは、
自分の行動のせいで自分が困っているのだと納得しない限り、子どもは変わりません。
『子どもの協力をかちとる家庭と学校に生かすアドラー心理学』P4-R
という言葉だ。
「納得」は大事だが……。
「納得すればできる」ということは、この本にも書かれていた。
でも、ただ「納得」しても、能力が追いつかないこともある。頭の疲労感、体の消耗、もろもろ気づけず、納得して走り続ければ、悶えるか、覚醒するか、暴走するか。で、それが起こっていた。
話を戻す。
今日の子どもたち
そして、今日、変化をたくさん見せてくれた子どもたち。
私は、子どもたちの様子から、自分を省みることをさせてもらって、学ばせてもらっています。
辛い思いをしている子もいるのだと思う。それを、とことん支えているお家の方にも本当に感謝です。
もう少し、もう少し走れるし、走りたいと思えて日でした。
付けたし
怒られるね(´・ω・`)
そして、こんな絶望真っ只中で支えてくれる、夕飯を用意して待っていてくれるパートナーに感謝です。
皆々様、つまらないときも一緒にいてくれるってのは本当に有り難いことだと思っております……。
そして、音楽が聴けるようになった帰り道。
ありがとっ(人・_・)♡
P.S 事の顛末
今回、以上のいくつもの啓示から私は3つのことを改善しました。
- タイマーの廃止(焦燥感の根本原因、分かりやすいからこそ行動が管理されたと感じ、プレッシャーを与えていたと思う。タイマーより子どもを信じる。失くした。「あり」からの「なし」だからこそと思いたいが、声をかけて、静かをつくれていた。)
- 机を下げる(子どもたちの机がとても前に来ていた。尋常じゃなかったと思う。手を伸ばせば届く距離。近すぎた。これもプレッシャーの一つだった。耳からの刺激は脳に直通で、強い刺激と言われる。そこから私の声に応えるように誘発されて、子どもたちも覚醒していたのではないか、と思う。)
- 声の調子とスピードを下げる(何よりも一番焦って憔悴しきっているのは私だった。私が楽しめていなければ、リラックスしてなければ、子どもたちが落ち着いて過ごせるわけはなかったのだった。子どもを信じて、私は静かに口を開き、子どもたちに語り掛ける必要があったのだ。)