かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

37日目:未解決事件のピリオド(週末への流れとして良ひ)

いやいやいや、見回りどんだけ時間喰うのよ、やばいよ。1H越えるじゃん!ハピペンです。

 

未解決事件?

なんてことはないのです。先週の金曜から隠されたかと思っていたものが、家にあっただけの話なのです。

 

(実は私のもので見つかっていないものがある。こちらも解決するだろうか……。)

 

プロジェクト

子どもたちが「◯◯プロジェクト」をやります!と帰りの会の連絡で言うようになってきた。

 

活動時間を分けさせないとやばい。

休み時間をその時その時に流されるではなく、やりたいことを予定してやっていくのは、ありなんだろうか。それって、休み時間を謳歌できているのか?

 

今週メンバー表を作ったので、次は予定表だなあ。

 

今のところいいなあと思っているのは、人を集めて何かをやろうとすることに慣れていくこと。

 

これが「頓挫するクセ」がつかないようにしないとと思う。

 

成果物なり、期日なりでケジメを意識させようと思う。

 

金5の魔力

これやばいわ(笑)

本当にカオスなことに気づいた。

 

音楽をやったら、二次会終電後のカラオケみたいになって、異様なテンションでバラードを歌っていた。

 

面白いというかちょっと怖かった(笑)

 

ジャーナルには「◯◯をねっしょうした!!!!」と書いてあっておかしかった。

これも、思い出の1ページになったのかもしれない。

 

このカオスタイムに国語をぶつけて、訪問指導を受けたのだと思うと、よくやった子どもたち、自分もよくやったなあと思う。

 

自分としてはつい同じ温度感で、すべての時間を過ごしがちなので、やっぱり、調整しないとと改めて思わされた(いやいや全然そうしろよってね)。

 

とにかく金5はダメだ。軽くしないとやばい。

実は木5体育もやばい。時間割上しょうがないのだけど、カオスの前哨戦すぎる。

 

前を向く

これまでで一番嬉しいくらい嬉しいかもしれない。

いつも手紙を配るときに後ろ向きっぱなしの子が、前を向いていた。初めてだ。

 

これも「パセージ」の力なのかもしれない?!

なんかもうやばいな。もはや信仰ムード( ̄◇ ̄;)

 

  • 私は能力がある
  • 人々は私の仲間である

この二つを感じさせられるようにと考えて配慮すると、細部で子どもが変わるを感じる。

 

今年は、「Iメッセージ」を意識的に減らしていたが、それもアドラーでは「正の注目」として挙げているので、復活させた。

 

どうしてやめていたかというと、「私は悲しい」とか、「私は嫌な気持ちになる」とか、

「いや、別にてめーの基準に合わせるために生きてねーし」という感じがして、

かつ、「私に合わせて」ということを暗に伝えているような気がして嫌だった。

 

しかし「その集団における生活力」を考えると、その集団における成員の中で社会経験が少なからず豊富な私の規範意識は今後彼らが生きていく上でやはり参考になるのかもしれない。

逆にそこにいる成員の一人として、私の考えや気持ちを参考に自分を調整できることってより人間生活なんじゃないの?と思い。

 

そこに一人として、気持ちを伝えるようにした。

 

反対によくそこまで、「私」を存在させないで学級をつくろうとしていたなあ、と今では思う。

 

【私も紛れもなくクラスのみんなの一人である】ということを私が忘れてはいけない(当然)。

 

もっと入り込むべきだよね。

 

違うんだ。問題は、私はそれによって、子どもたちをコントロールしているかもしれないってところなんだ。

もしピュアに生活できているなら、技法としての「Iメッセージ」でなければ、私はいくらでも私でいたいのに……そういう妙ちくりんなジレンマがある。

 

ただ、恐らくは、子どもたちも、私が一人の人間として、教室にいることを期待しているはずである。

 

まあ、なんであれ、学び続けて、少しでも子どもたちのために良い人間になって、子どもたちの前に立つしかない。