かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

循環からの脱出

循環からの脱出

今日は6:10に起きれた!いつもより、50分近く早い。お風呂も昨晩入っていたので、余裕があった。起きてから1時間以上経ってから家を出るので気分がよい。昨日言ったようにいつもより10分早い電車に乗れた。混み具合は3分の1。全然違う。気分も全然違う。今日一日は最悪ではなく、良い日だって思える。

 

苦しみとは「自分は循環から永遠に抜け出せないのではないかという勘違い」なのだ。

 

悪循環の中の例外もいくつかあった。大きくは、二つ。

・委員会で10年くらい掃除されていないんじゃないかというところを掃除したため、夜のうちにお風呂に入りたかったこと。

・夜中一度も起きなかったこと。妻に任せっぱなしになってしまったが、反対に信頼しよう。できるときはできるし、できないときは頼ってくれるはずだと。

 

もし、今日の夜うまくいかなかったら、また別の方法を考えよう。終業前10分またその場所を掃除してもよいかもしれない。夜にお風呂に入る意思を助ける。そう今朝はほぼ昨日宣言した意思で力んで起きたにすぎない。二日間、ピヨ子さんと寝ないことで絶望的な循環からは脱出できる(時間を従来のものに戻せる)と分かったから、ピンチの時は二日間離して寝かせてもらえばいいってのも分かった。

 

昨日は、生きている意味まで考え始めてしまったから、やっぱり睡眠の質の気分への影響力ったらむごい。それは、妻も同じかもしれない。週末は、妻にまとまった睡眠を取ってもらうことにした方がいいってことだなあ。

 

自分以外の授業

クラスを客観的に見る。自分じゃない時の授業を見た。育ってないなあという部分もあれば、自分にそれなりに慣れてくれているんだなあという見え方もした。彼らは私のやり方に寄り添ってくれているのだ。言わせりゃ言うなら、言わせるしかないってかね。なんだろうなあ。

 

あと2か月。

頑張ろうって思った。

 

その他。なんかレクをやるからとアンケートとって、チーム考えてもの凄く動いている子がいる。自分のやりたいことをやろうって子がいてとても良いよなあ。

 

あることについて、本気で頑張って涙している子もいる。かっこいい姿を見てもらいたいから。そういう愛情を間近に感じた。すごいなあ。一人ひとり。全然知らないところでストーリーを紡いでいるんだよなあ。

 

ある子に「悪いところ探しをやめろ」と差し押さえた。もっと早く動いていればよかった。そしたら、すぐによくなったのかもしれない。私からお願いをするとか、命ずるとか、もっとやればよかったなあ、と少し思った。気づくのを待ちすぎたかもしれない。反省。

 

今年はどう言葉を狩るか、指南するか悩んで出遅れたことが少なくない。もっといろいろやめさせられたかもしれない。でも「やめさせる」ってのも嫌だし、私は新参で、本当にそのままでいいの?と、自分たちで動かないと何も変わらないよ?と冷たく居すぎたかもしれない。

 

もっと輪になって話したいなあ。彼らと。

そういう時間はあるだろうか。

 

カタルタ

急にふとカタルタを使って話ができた。私の机の周りに子どもが集まっていることがあるからだなあ。これすごい楽しいと喜んでいた。

一人5枚くらい配って、主役の話に、好きなタイミングでカタルタを出して、主役はその接続詞や感嘆詞から浮かんだことを話すだけの遊び。

 

広がったら面白いなあ。そして、こういう机の周りにいる子たちは、どちらかというと主張が強い子たちではなくて、それが嬉しいなと思った。実は満遍なくそこそこ居心地のいいクラスを作れているのかもしれない。

 

とりあえず、循環から脱出できた今日はとても良い日だった。明日の脱出に向けて、今日もできることをして眠ろう。

 

 

 

そういえば、時数がかつかつですね、言ってきた人がいたわ。間に合わなかったらやばいですよね、と。で?と。