燃え尽き症候群のハピペンです。午前は職場に!
昨日の面接での敗北感から本を3冊手に取る。
頭がこんがらがってうまく話せない時に試してほしい 知的な伝え方
- 作者: 出口汪
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2017/06/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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- 作者: ジョーナヴァロ,マーヴィンカーリンズ,西田美緒子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2012/12/05
- メディア: 文庫
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まず『なぜ、あなたの話は響かないのか』を読む。
自分が思っていることや、やっていることと辻褄が合う本でした。
「コミュニケーション2.0」と、表紙に書いてあるのは、伊達じゃありません。
目次
はじめに1章 コミュ力格差社会に突入
2章 なぜこれまでのコミュニケーション術は通用しないのか?
3章 絶対に失敗しない「コミュトレ2.0」
4章 相手の心を動かす「話し方2.0」
おわりに
コミュニケーション1.0とコミュニケーション2.0
第1章で、コミュニケーションの変遷について書かれています。
そして、時代に合わせてコミュニケーションはアップデートされ
「空気」を読みながら「意見する」コミュニケーションを「コミュ力1.0」
価値があると信頼してもらえるようになるためのコミュニケーションが「コミュ力2.0」
へと移り変わったことが書かれています。
「自信のあるコミュニケーション」を求めて
日本のロールモデルは、高度経済成長期は「故郷へ錦を飾る」ことでしたし、バブルまではいい学校、いい会社、いい人生という、わかりやすい指針がありました。
では、今はどうなっているかというと、「あなたのやりたことをやりなさい」が私たちの指針です。
この指針が、すべての元凶とは考えもしなかった。
食べるのに困らなくなり、価値観の多様化として、一人ひとりは自由に生きていいのだと、心が軽くなって生きられそうな気でいたが、そうではなかった。
人々の中には、価値観の多様化に苦しむ人の方が多いのだと思った。
現在は、「自立して生活すること」が人生のひとまずのゴールではなく、「やりたいことをやろう」という時代になったり「やりたいことをやっていること」がゴールであり、価値があるとされる。
しかし、実際はそう簡単に「やりたいこと」は見つけられない。
すると、人々は自信を失う。
「自分は何がしたいのか分からない」。
ということは、「自分のもつ価値観が分からない」。
だから、自分の価値を人に伝えられない。
ゆえに、「自信をもってコミュニケーションができない」。
ということが起こっているのだそう。
以前は、
「空気」を読みながら「意見する」コミュニケーションを「コミュ力1.0」
のコミュニケーションができることが「自信のあるコミュニケーション」だった。
しかし、現在は
価値があると信頼してもらえるようになるためのコミュニケーションが「コミュ力2.0」
のコミュニケーションができることが「自信のあるコミュニケーション」なのだ。
面白いのは、「コミュ力1.0」の訓練をしても、「コミュ力がない」と思っている人は自信をもってコミュニケーションができない。
それは、必要とする「コミュ力2.0」の方の力がついていないからなのだった。
私は、すべての人は「自信のあるコミュニケーション」を求めているのだと知った。驚いた。
自分が悩んだり、行動したりする見えない化されていた背景が言語化されていて、妙に納得できて面白かった。
コミュニケーションは人を救うんだね
つまり、人々は「自信のあるコミュニケーション」のパイを取り合っているんだなあと思った。
コミュニケーションにいろいろ乗っかっていて、それを持ち札に、自信をBetし合う。
- パターン(遺伝や性格など覆りにくいもの)
- 動機(そうしたいと思った・考えた欲求)
- 培ってきた原理(育ってきた環境などの馴染みのある関わり方・癖)
- 時代背景(その世代ごとに多い原理)
- 自明なルール(TPOの捉え方・知識)
- これらによる「快・不快」
これらが複雑に絡み合って、コミュニケーションは心地よかったり、心地悪かったり、さまざまなコミュニケーションが起こっている。
面接では、これを調節して、相手の自信をくじかないようなやり取りが大切なのだと思った。
相手の持ち札にチャンネルを合わせる必要がある。こちらが自信を得るためにこちらが思う正しさをガツガツ話してしまってはよくない(当たり前)。
プレゼンはコミュニケーションなんだよね。
ただ、自分の価値観だけを信じて突き進むこともあるだろう。今の時代は、自明のルール対決なことが少なくない。マジョリティであることが強いというわけでもない。自明のルールを響かせられた人が、響いた人同士で寄り集まっている時代。
そして、その自明のルールを、生み出せなかった人は、既存のルールの中で「自信のあるコミュニケーション」を獲得しているのだと思う。
- 学校に行くことが正しい
- テストで100点取ることが正しい
- 好き嫌いしないことが正しい
- 授業中静かに座っていることが正しい
など。
考えなしに当然のこととして、自分が知っている価値観で人を裁くのは、そうすることで(他者のものさしを使うことで)「自信のあるコミュニケーション」を得ているのだ。
ツイートものせておく。
一番生きやすいのは、他の価値観にタダ乗りすること。
— なっさん(ハピペン) (@kn_penguin) 2018年8月9日
外の規範(主導権)に依存すること。
これは、実はコミュニケーションの希求である。
「自分を生きる」という風潮で価値観を見つけられず、自信を失い尽くした人の行きつくところ。
コミュニケーションを手に入れたかった人の行きついたところ。
生きやすさを優先するなら、健康な依存先を優先することも大切だろう。
— なっさん(ハピペン) (@kn_penguin) 2018年8月9日
大切なのは、本人の願いだ。
目標を下方修正するなり、その人の生きやすい価値観に寄り添うことが一番である。
自分らしく生きることは高騰している。
誰しもが手に入れたいのは、自信のあるコミュニケーションなのだ。
もっと前に挫かれた人々
バリバラの「罪を繰り返す障害者」を見て思った。
コミュニケーション1.0の時点で、「自信のあるコミュニケーション」ができなかったこと。
そして、これは能力的なものではなくて「参加させてもらえなかったこと」が大きいのではないか、と思った。
そう考えると、周りの人たち、私たちの罪の方が大きいように思う。
バリバラの「罪を繰り返す障害者」を見ている。
— なっさん(ハピペン) (@kn_penguin) 2018年8月9日
まさに「コミュニケーションに自信をもてないこと(コミュニケーション不足)」が、再犯につながってしまっているように思う。
誰もが、コミュニケーションを求めている。そういう意味で、私たちは誰もがコミュニケーションに依存しているのだ。
そして、それに憧れているのだ。
しかし、それができなかった。
そして、自分はそれができない人間なんだ。
そう思わされてしまったり、どうしてもそう思ってしまったり、そこから抜け出せなくなるとどこへいくかと言えば、モノとのコミュニケーションに移っていくのだ。
それが依存を生むのだろう。お酒でも、薬でも、パートナーでも、セックスでも、痴漢でも、ギャンブルでも、虐待でも。
それらは、悪いと頭では理解している人は、ならせめてと、自分を傷つけているのかもしれない。
コミュニケーションの本分は、存在証明で、相手の存在を認めて自信をもたせることなんだと思う。
傾聴ボランティアもその類なんだろう。
私はコミュニケーションはうまくない自信があるのだけれど。。。
自信をもたせるコミュニケーションには興味がある。子どもたちに自信をもたせられるコミュニケーションをしよう。そう思って、子どもたち(人々)と接したい。
そして、未来を担う子どもたちとコミュニケーションする上では、時代に合った価値観の中で「自信のあるコミュニケーション」ができるように、力をつけることを考えないといけない。こちらの価値観というよりは、未来を生きる子どもたちに必要な価値観で。