手がかじかむ!ハピペンです。
今日は、冬休み明け初日!
いい感じで、子どもたちは学校に来てくれたようでした。元気な子が多かった。嬉しい。
ただし、ある子とある子が休みだった。そんなことってない。珍しい。
その意外性に想いを馳せたいわけよ。
実はその二人はクラスのスケープゴートになり得る存在だった。少なくとも、12月の2週目にはそんな文脈を子どもたちの様子から感じた。
しかし、3週目に大どんでん返しで、印象を変えることができた。それもまた、子どもたちのおかげによってである。
「解決」とは「少しの受容」と「少しの変化」と言われる。それが起きたのだと思う。その変化を子どもたちにも見取ってもらえたのがよかった。
そして、その二人がいない状態でスタートするのだが、いつも通りの多少のざわつきはあるのだった。
彼らがスケープゴートであったことが証明されたようにも思う。
だから、今日が起点になって、クラスの子どもたちは、やはり自分自身の在り方を、一人ひとりが考えなければならないということだと思う。
この偶然の産物、GIFTを生かして、また、子どもたちとやり取りをして、この先を見つけていきたいのだった。
「内発的動機」のこと
「内発的動機」の「関係性」について検索をかけたら、このサイトに当たった。
前にロカルノさんなども紹介してくれていた、「溝上慎一先生」のサイトである。
「内発的動機」については、ここでバッチリ端的に知ることができた。ステキなサイトである。
そして、ここを見ていて「主体的な学び」についての話が気になった。
(理論)主体的な学習とは-そもそも論から「主体的・対話的で深い学び」まで-
主体的とは
「行為者(主体)が対象(客体)にすすんで働きかけるさま」
という定義に震える。客体あっての主体ということ。主体的とは、目的意識、他者意識ということ。言われてみると「そりゃそうだ!」となる。
「主体的な学習スペクトラム」なんて、みんな知った方がいい。
これを知ってから「主体的な」って語った方がよい。私が知っている範囲では、このどれもを語り合った「主体的」の定義を取り合って、考えをかぶせあって、結局どれも大事ってなって、ああ、口を動かして気持ちよかった!って研修ばかりだ。
で、今、この学校の子どもにどれなの?その学年でどこなの?なんて話されない。学校代表の主体性の発表会で終わり。こうして、貴重な資料を共通認識の土台にして、車輪の再発明をしないで、子ども育てられたらどんなに楽しいだろう。
そんなことを思いながら、書かれていることを見ていくと、今度は「アクティブ・ラーニング」の言葉が気になってきた。いっぱいは、見られないので、良さそうなのーと思ったら、講演録があったので、それに目をつけてみた。
http://smizok.net/education/PDF/PDF00014(tsukukoma%2520speech).pdf
教師はファシリテーターだけではない。
の記述にシビれる。
結果、当たりだったと思う。
初日に子どもたちに出会う前に読めて良かった。血が熱を帯びるような、こちらも震え出してしまうような内容だった。
家に帰ったら、また、シビれた言葉を抜粋したいわ。
今日したこと
- 冬休みペアトーク
- 冬休みトーク
- 2019年の目標、あと53日で学びたいこと
- ハンカチ落とし
私がガチっぽい自分の目標を挙げたので、子どもたちも目指せそうな、目指したいような真剣な目標をかかげてくれていたように思う。結局響くのは、背中なんだよね。見せている姿が全てだ。生き様で証明すれば、子どももそれをやってみようと、やりたくなるわけだ。したくなるわけだ。そう信じて。
最終章!はじまりーーー!!