引っ越すかなあ。なんて思いながら、wifiを解約し、電波難民になり、ひと月単位のwifiがあることを知り、契約し直したハピペンです。ろくに調べ物も出来ず。そして、引っ越し先も探せないやんけ!
最近読んでいる本について。
これもまた、ブリーフセラピーの源流シリーズです。
ベイトソンは、ブリーフセラピーの理念の生みの親です。
ベイトソンが、サイバネティクスのシステム論を、人間のコミュニケーションに当てはめるという、大発明をした結果、人間の見方が変わった。「知の巨人」「20世紀最大の思想家」などの代名詞がついている。
改めて「ブリーフセラピー」の定義を確認しておく。
問題の原因を個人病理に求めるのではなく、問題は他者との関係(相互作用)のなかで維持されているという見方のもと、コミュニケーションの変化を促して問題を解決していこうとする心理療法
システム論だなんだってのは、こちらに。
ブリーフセラピーの前提となる理論【3つ】 - かならず幸せになれるいきもの
他人を大切にすることが、自分を大切にすることの仕組み
私の「命題」である。
「自分とは何か」をこじらせて、自分を求めきった先にあったのは、「自分だけしかいない」という自己存在不信だった。
その先にあるのは破滅で、とても苦しい。
自分は自分だけの中には存在しない。
どうしたって「比較する対象」がいるのだった。
もし、この世界に自分しかいなかったら。
自分は自分であることが分からないように。
自分にだけ注視したのでは、自分は自分を見失っていくのだった。
そうしたときに、自分をよりクリアに、存在を明らかにするために必要になるのが「他者」だ。
ベイトソンがちょうど、その辺りのことを端的に言葉で表してくれている。
精神なるものを相互に関係しあうすべてのネットワークの回路に見い出す思考形態で、二つの対立したものもフィードバックのループで結ばれた関係として示される。
それはインターアクティング(相互作用)を一つの基本原理としている。他者の目の中に自己のありかを探る、という意味で。
当たり前のこととして、「ある物は、ある物だけで完結しない」ということをベイトソンは言っている。
デカルトが「身体」と「心」を分けて、AとBは別の物であるという「二元論」の世界を生み出した。
「直線的因果論」
「原因と結果」の法則のこと。
それをベイトソンは、サイバネティクスの考えをもとに「いかなるときも入力に対しては、反応がある」という「円環的因果論」を考案した。
だから、なんだ!と言われると辛いのだけれど。
この考え方が「世界を少しだけ優しくする」と思っている。
この考え方が「世界を少しだけ生きやすくする」と思っている。
つまり、「やり取り」する「内容」か「対象」が、変われば、そのフィードバックも変わる。
それは、現状に変化を生む。
現状が困難であれば、困難でない状況を生む可能性があるということだ。
そして、人は(哺乳類は)、何をやり取りしているのか。
というところから「コミュニケーション論」についての話題に入っていく。
「障害をもっている」と「障害がある」
ところで、という感じに一つ例を示す。
かつて障害は、人に依存していた。
ある人が障害をもっていて、そのために障害が生まれているという捉えだ。
これを「障害の医療モデル」という。
現在は、障害は環境に依存している。
ある環境に障害があって、そのために障害が生まれているという捉えだ。
これを「障害の社会モデル」という。
これの優しいのは、「何を変えるかの視点」を捉え直すことができる点だ。
「医療モデル」の場合、強いられるのは、障害をもつとされる「人」の変化である。
これは、どうにも叶わない場合がほとんどだろう。
その変われないものを変われと強いること。あなたのままでは、あってはなりませんということ。
自分が自分でいてはならないということ。
苦しいだろうと思う。
「社会モデル」の場合、強いられるのは、障害をあることにしている「環境」の変化である。
これは、人が変わるよりも変え得る可能性があることだ。
そして、あなたのままであってもいい。そのため、苦しくない。
「社会モデル」で見ると、障害とは何かが見えてくる。
これと、ベイトソンの「円環的因果論」がつながる。
つまり、障害とは「関係」であるということだ。
たとえば、「車イス」であるということや、「階段」が問題なのではなく。
「上りたいけれど、上れない」という「関係」が障害であるということ。
だとすれば、上れるように、どうすれば「関係」が変わるか、今ある資源を使って働きかけたらよい。
優しい世界へ
2001年のノーベル賞受賞者、野依良治さんは、こう言う。
異に出会うことが、視野を広げる
そして、社会学者の土井隆義さんは、こう言う。
不都合な人間、向こうから迫ってくる異質な人間との付きあいを通じて、じつは不本意な自分、異質な自分との付き合い方も、否応なく学ばされていたのではないでしょうか。
『キャラ化する/される子どもたち』より
「異」とは、自分でない存在を指す。
仮に「自分とは何か」となっている状態を、自分でない状態。つまり、「異質な自分である状態」とすると、その「異質」な状態は、やはり「自分だけでは解けない」のではないだろうか。
自分の中の自分でないものに出会ったとき。人はそれを「不安」と呼ぶのではないかと思う。
そして、その「不安」という普段と異なる状態を解決するには、自分でない他者が必要なのである。
しかし、これは、ベイトソンの言うように「円環的」なことだろうと思う。
何が言いたいかというと、野依さんの言う「異に出会うこと」は、「自分の中の異と同時に他者という異にも出会うという必然」が、視野を広げ課題を解決するということではないか、ということだ。
にも関わらず、私たちは「異質な自分」を「自分で押さえ込もうとする」。
実は、これが、限りなくDEADなのではないか、と思う。
誰も一人では生きられない。自分として生きるために人は他者を要する。
その他者の必要感って、優しい世界じゃないだろうか。
誰も他者を必要としているし、誰も他者を必要としていいに決まっているってことだ。
誰のせいにもしない
つい人は自分を大切にしてしまうというか、結局のところは、自分を大切にすることしかできない。
だから、心構えくらいは「他人を大切にする」ってことにしてみる。
そうすると、ちょうどよく、異質な他者を取り込むことができ、自分を確立することができ、結果的に自分を大切にすることができる。
そういう仕組みが人にはあるのだと思う。
「他人を大切にすることが、自分を大切にする仕組み」は、そういうことだったのだと思う。
ベイトソンは、精神とは「関係」のことであると言いたかったらしい。
とても好きだ。
私たちの思うことは「関係」から生まれているのだ。
これまでの関係、今の関係から。
ならば、もう誰のせいにもできなくないだろうか。
何もかも、みんなで作ってしまったってことだ。
だから、私たちには、対話がいる。
少しでも関係をよくするために。
もし、どうにもならない辛いことが起こってしまう前に、対話をすることができたなら、誰かのせいにする前に、関係を変えて、気持ちの良い方へ向かうことができるのだと思う。
円環的であることをイメージして
時間軸をさておくと、起こっていることはほぼ同時である、あれが起こるからこれが起こるというよりは、ほぼ同時なのだ。
だから、気をつけなければいけないことは、今、誰かに何をしてもらえるから得だとか、気持ちいいだとかというよりも、「今、自分が自分としている気持ち良さ」に向かっていった方がよい。
ただ、注意として、一言付け足しておきたいだけなのだけれど、「他人を大切にすることが、自分を大切にする仕組み」があるからといって、苦しいにもかかわらず無理して他人を大切にしようという話ではないということだ。
自分の中で、自分が他人に目を向けようという時に向けるのでいいと思う。
その気持ちの良い自分への選択が誰かを大切にしたとき。
その恩恵がすぐに跳ね返ってくるとかそういうことではないのだけれど、でも、積極的に他者に目を向ける方を選べる自分は、自分に嘘をついていなくて、自信をもつことにつながる。
結果、やはり、自分を大切にすることにつながるのだけれど。
それは、「ほぼ同時に起こっている」ということ。
私たちが感知できるか、とはまた別のところで、大きく言えば、自分とこの宇宙との関係への変化に作用しているかもしれないってことなんだよね。
関係に働きかけるということ。
困ったら意識してみてほしい。
私たちは、いかに同等か。そんなようなことをずっと考えていたのだと思う。
「異質な他者は有用な自己」にもかかわらず、他者を絶っていた時に生きづらさが生まれる。
反対に、「異質な他者」と関わっているにもかかわらず、自己を絶っていても生きづらさが生まれる。
自己と他者の往還の中に、生きやすさは生まれる。
その最中には、自己と自己のつながりも意識していると自分を絶たずに済む。
そこに何が生まれようとしているかをそっと見守ったり、ただあったり、考えてみたり、意識してみたり、実験してみたりすることも面白さの一工夫。
だから、どの他者も有用で、自分にとってかけがえがないはずなんだ。
だから、殺してならない。
そういうことがずっと言いたかった15年間だった。
どれも「関係」について考えさせられ、自分を生きやすくする本たち。
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キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像 (岩波ブックレット)
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