かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

104|出来ていないことってそんなに悪いことなんだろうか

この人生の答えは最後に分かるのだっていいわけだよ。

 

メタが流行って、なんでもかんでも把握していたいというような、マネジメント的な、コントロール的な気配があちらこちらにありすぎるのかもしれない。

 

ますます言語活動が大切になるけれど、それは、「他人に文句を言われないための」みたいなものになっていて、自分を伸ばすためのものになっているのだろうか、と疑問が残る。そういう親切なエージェントになっていかなければいけない。自分が今何をしていて、それはどういう意味があると思ったからだということを説明しないと仕事としては「なし」です。という世の中になった。

 

客が対価に見合っているかを判断する力は、問われなくなった。

 

ただ。その意味は、受け手によって変わるし、時によっても、文脈、トリミングによっても変わる。それをできる限り予想内に納めようというところに、底無しの沼を感じる。その言葉を積み上げているうちに人生は終わる。

 

もしかすると、人生ってのは、そんなに時間をかけて言葉を紡ぐものでもないのかもしれない。紡いだ人生が言葉になる方が良い。メインは言葉ではなくて、人生なはずだ。その逆転が今は気になっている。

 

意味づけされる人生は豊かだが、意味づけすることが前提にある人生は虚無である。そうなると、やっぱりほしいのはエモーションなように思う。

 

できている人は勝ち組で、できていない人に「できていない、できていない」を突きつける。究極「楽しいか?」だけが問われて、分別するのも変だけれど、しかし、それにしても、そうやすやすと「できていない、できていない」とダメ出しされる人生なんてものもないのではないだろうか。

 

ライフ&バランスが取れないことすら、自己責任って文脈を持ち出されると、本当に冷たい世の中だなって思う。そこをUDにしたいし、冷たくないやつにすべきだ。定時で仕事を済ませている人は一体何人いるんだ、と言いたい。

 

そして、自分の身体の衰えを感じるなあ。微細運動の能力が減ったような気がするわ。どうしたらいいのか。反射神経の衰え。悲しいかな。

 

出来ることを積み上げていくほかないんだけどね。