かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

143|人の目を気にしてなんてもったいない

自分の人生はどう足掻いても、自分にしか出来ない。誰かのことを思って、塞ぎ込むよりは、開き直ってでも、もうすでにある今を生きたい。かな。生きるしかないかな。

 

考え方のコツは、「パンクチュエーション」をどこで打つかということだ。これは、どこの文脈で区切って人間関係を捉えるかということである。

 

今にピリオドを打つことで、「気まずい」ってことがある。としても、一年や二年の目で見ると過ぎ去った思い出、むしろ、思い出ですらないというようなことだらけだろう。

 

つまり、「今」の出来事を規定してしまわず、カンマにすることで、人はその先へ、そして、気負わずに未来に向かえるのではないかという話。

 

今をピリオドにしてしまうと、塞ぎ込むことしかないように思う。思い詰める。いかに自分は良くないか。を、反芻しがちだ。

 

人生は広く長い。だから、そんなに気負わなくてもよい。ことが多い。

 

たとえば、クラスの荒れの中心人物がいたとする。それを押さえられないときに「周りの子に申し訳ない」という考えを抱きがちである。

 

問題は、その時点で子どもを見くびっていることである。その子たちの歴史を無視して、一方的に辛いという想像をしているところに、子どもの見方についての落とし穴があると思う。

 

「見くびらないでいただきたい!」と半沢直樹が言うのと同じである。

 

どの子にもその子なりに生きていくパワーがある。それを信じる言葉を発すればまた状況は変わるかもしれない。

 

自分を守れ。人を信じろ。誰もあなたの人生を悪いようにはしないから。世界は祝福に満ちている。生きていていいし、あなたはあなたでいていい。そういう全面的な肯定はダメなんだろうか。