かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

113|できていないこと

体調よくないからってのもあるけれど、空っぽ感がすごいなあ。あれを身につければこうなるとか、あの本を読めばああなれるかもとか、なんか、暗闇の向こうに勝手な幼い希望を抱いた30代前半だった。いよいよ後半なんだよなってことを改めて思う。

 

 

自分の年齢に合わせて、「まだ大丈夫だ」とか、「まだいける」とか、いろいろな保険をかけて、元気になるための本がたくさん転がっているのだろうな。

 

そして、何も変わらない自分が残る。

 

情報と行動が圧倒的に足りないことが原因。そうだろうなあ、と思う。

 

今あるモヤモヤは体調不良に伴うネガティブなんだろうけれど、結構好きで懐かしくて、自分をでっちあげて奮起していたころを思い出す。

 

そうしていないとやっていられなかったし、毎日よく粘り強く力んで生きてたなあと思う。20代前半。

 

無力感かもしれない。あれこれしても、やっぱきついとか、ストレスがあるとか、虚しくなるとか。

 

最近ほとんど安定的に不幸せでなかったからね、そういう人生とは無縁だと思ったのだけれど、平和にやっているんです。

 

でも、まあ、そんだけなの?とか、贅沢だけどね、なんかもう一つないのか?とか。そんなことを思っている。

 

子どもは可愛い。

 

だから、何?って感じだ。

 

子どもと描きたいイメージが沸いていないんだよなあ。こんなになったら嬉しいとか、そういうのが。

 

もしかしたら、ビックリするくらいまともで、優しいヤツらに育っているかもしれないのだけれどね。

 

今はそこでなくて、知識理解が気になって、そんなことの説明責任が果たせるかとか、そんなんばっかりだ。そんなん、さておき、楽しく生きていたいけれど、そこは、切り離せないんだろうな。ずっと不安感を抱いて仕事をしていくんだ。そして、そこの追及さえやめないなら、この仕事は続けていいのだと思うなあ。

 

あくまで、学習指導要領に適応させること。それを一生懸命、まさに、一生続けていく。

 

安心した仕事をしたいなあ。自分を戒めなくていいような、辱めなくていいような、堂々と楽しめる仕事。許してもらえるかばかりを気にしている仕事が、本当にバカバカしく恥ずかしい。

 

一体何をすれば、仕事ができてるってことになるのか。人間関係の中で、平凡にいられればいいのか。とにもかくにも、たまらん仕事だなあって思う。

 

ああ、そうか。

思い切って本気で向き合ってみればいいんだな。先生としてより、オレとしてだな。それ、やってないかもな。もう少し人間でいようとしていいだろうな。それが、できていないことだ。