かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

140日目:常勝で上昇

すべては問題ない。問題ないわ。盤面はクリアです。パピペンです。おかげさまで、躁鬱の躁って感じです。これが、どれくらいで落ちるのか、何が起こると落ちるのか。また見ていこうと思います。そうして自分を客観的にハックするのが面白い。

 

常勝と言えばこのツイートを思い出す。

「ネガティブは常勝」ってやつ。

桜井 政博 on Twitter: "新しいことに対して「○○だから不安だ、ダメだ」とさえ言っていけば、 それが的中すれば「だから言ったのに」となる。逆に杞憂に終わっても「よかったね」と丸く収まる。故に、ネガティブは常勝する。だけどそこには、モノを生み出す、あるいは人を引っ張る力は"一切"ないからね。"

2010年のツイートなのに、たくさんの人の胸に残っているというのが面白い。。。

 

VS.月曜の憂鬱

月曜の憂鬱や懸念が的中しないのではないかと思って観察していた。すっごい嫌な気持ちになる月曜の朝だけれど、抵抗しなくても、午後には気分が良くなっている。だったら、気にしなくていい。戦う必要がない。戦っても戦わなくてもいい。そうなったら、月曜の憂鬱も私の相手をしてくれなくなってしまって、今日は全く憂鬱ではなかった。それを気にするから、それが胸を占める。そして、気にすることで安全地帯に行っているのではないか、という錯覚が疲労を呼び集める。実は、気にしなくても結果は変わらない。自分がコントロールできない部分の方が多いことが少なくないからである。安心感のために、考え尽くすこと、考え尽くそうとすることも多いのだけれど、安心しようとするから安心できなくて、安心してもしなくてもいいやって思うと、なんの跳ね返りもなくて、通常営業が待っている。

 

落ちまくって、落ちまくった脳で最適解が出せるわけもなく、3日寝かせることにした。

この作戦はうまくいった。3日後には完全復活だった。

 

そして、こういう関係なのではないかと思う。ネガティブの効用。

 

そんなわけで。

 

特段

今日はきつかったよ。

思ったより、金曜に月曜の準備が出来ていなくて、なんでだろうと思ったら、金曜に地域からの電話を受けて私宛でない話を30分ほど聞いてしまったのだった。今では解消しているが、これがモチベーションを下げた。もう帰ろうという決定打になった。

そして、今日。

昨晩の奇跡的な思いつきにより、朝の時間を確保することなら成功した。

しかし「月曜の憂鬱」は、私たちにとって共通言語で、電車を止める人が現れた。

私は普段の1.5倍の所要時間で、学校に着くことになる。途中、駅を降り間違えそうになって、もう一度乗った車両は満員でかばんがドアにはさまって、そのまま出発して、降り口が反対だったとしても問題ない。すべての盤面は完璧なのである。なんてことはない。一駅の間焦るのを我慢して着いたら引っ張ればいいだけだった。このように、心配しなくていいことだらけだ。心配しなくていいものを心配して、その間落ち着こうとする。けれど、違う。出来事は出来事としてあるだけで、出来事に感情はない。すべては無感情の事象である。その心配なことも、全く心配に値しない出来事として取り上げる必要もないほどの、呼吸となんら変わりないごくごく自然な通過点でしかないのだ。カバンがはさまることは、カバンがはさまらないことと等価なのである。

 

下手をすれば、月曜の憂鬱は命を取りに来る。

ただ、それは、考えても考えなくてもいいこと、囚われても囚われなくてもいいこと、気にしても気にしなくてもいいこと、等価なのである。選んだ方を生きているだけなのだ。そして、それを選ばない方法は、考え尽くすことで訪れるものではなく、ただ、選ばないことだけが選ばないことを起こす。回避というよりは、選ばないということだ。心(頭)の中では、餌をやった方が大きくなって勝る。餌をやらないってことが一番の対応策なのだ。

 

嬉しすぎるお手紙をもらった。

音楽の合奏が上手くいった。

主語・述語をもっとやりたいという子がいる。

そいうのが嬉しい日だった。