かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

022|げっ!!5月かよ!

やっぱり、全くもって、月境が分からない。つきさかい。つきざかい、かな。

 

何も終わってもいないし、何も始まってもいないじゃないかという時。

 

今日は、ピヨ子が予防接種でした。予防接種は、不要不急の外出ではないということで、予防接種には行っております。「不要不急の外出ではない」から、安全ですって話じゃないわけで、自分の頭で考える脳みそは持っていたいわけだけれど、人間っていうのは面白いもので、いろいろ「気分の価値」だとか、「ストレス解消の口実」だとか、いろいろな損得勘定をして、行動に移すわけです。

 

そこは、ドライにきっぱりいた方がいいのだろうけどね。なんとも……。

 

と、言いつつ、私自身は仕事です。午後帰りたかったけれど、不可能でした。課題づくり等々です。頑張るしかありません。優先順位を決めて、ある種公務員として、地域に暮らす人々のケアとなることに、誠心誠意働く。そのためにいるのだから、当たり前だよな、と思う。だから、よい。

 

ただ、その痛みやら、悲しみやらを抱いていて、頑張っているのだ、ということは、誰かしらは分かってくれるなんてことがあるなら、それはそれで少しだけ嬉しい。ありがとう。

 

ただ、自分は、ひどくバカなのだなあ、とも思う。娘のイベント時に、わりと近くにいたいという思いが強い。いられないことを悔しいと感じてしまっているところがある。恥ずかしいし、情けないし、アホかって感じで、でも、好きなんだから仕方ないなんてバカでいます。

 

起こしちゃ悪いからと写メの寝顔を見て寝よーと発想した時には、本当にバカなんだろうなあ自分は。と思いました。

 

そんな中で、つい「時短かつ思いを込められる方法はないのか」なんて浅ましいことを考えてしまいます。

 

やっぱり、日本人魂。かけた時間帯が肝であって、夜遅くまで悩んだり、朝早く起きて神経を注いだり、そうして作ったものには気持ちがのって、心を込めてご提供できる課題たち。感謝され、喜ばれ、大満足につながるってわけ。

 

ああ、我々の果たす役割っていうのは、なんなんだろうか。

 

誰にも分からない。こんな状況じゃ尚更。

 

でも、今回があったから、次の混乱の時には、少しでも、より見通しをもって、事に応じられるといいな。

 

そうするといくらか、心のコントロールがうまくいくに違いないんだ。