かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

121|水曜日は勝てない

そう思っていると幾分気が楽である。

 

ある日よくなったら、もうずっと改善されるかというとそういうわけではない。

 

学年のイライラ具合を感じる限り、どこも「もう!」となる時期なようである。それこそ、それでも、やんわりと乗り越えて行った方がよい。

 

何でもかんでもうまくいかせる時期は終わりを迎え、受け入れ態勢のようなものに入っていく時期なのかもしれない。

 

たとえば、「みんなの弟と思って」とか、「新しい弟ができたと思って」とか言って、多少のできなさを大目に見るポジションを仕向けてみたり。

 

「あの子ができないから悪い」ってのは、大人がラベリングしていくのだろうな、と改めて思う。だから気をつけてみる。

 

怠けではなく、課題なのだ。そして、「自分はなぜできないのか」と悩み始めもする。そして、どうしたものかと助けたらいいかなと思う。

 

ヘルプスキルでもいいし、可視化して分かりやすくでもいいし、何かその子にハマる手立てをそこから考えていこう。

 

「なぜ、やらないのか。」

「やれないから。」である。

「じゃあ、やれるようにしようぜ」というのが仕事。

 

やってあげる時期、指図する時期を越え、次に向かっていくんだろうな、と思う。

 

いろいろ大目に見ながらね。

席替えをしたり、やんわりとケアの空気を漂わせたりしながら、まあ、とりあえず「クラス」でこの船を漕いでいってみようという感じだ。

 

「よく見れていない」という内省ばかりなのだが、連絡をこまめにしていれば、それで本当によく見てくださってともなる。

 

言い訳せずにね。目をかけながら。

みんなを少しでも見ていきたい。

 

たぶん肝は、「見てほしい時に見る」ってことなんだろうな。

 

そして、手紙を送り合う実践も始める。

早速、一通来る。とても有り難い手紙だ。

大切にしなきゃなあ。彼らを。

 

手紙をもらった感想を聞いてみよう。