そう思っていると幾分気が楽である。
ある日よくなったら、もうずっと改善されるかというとそういうわけではない。
学年のイライラ具合を感じる限り、どこも「もう!」となる時期なようである。それこそ、それでも、やんわりと乗り越えて行った方がよい。
何でもかんでもうまくいかせる時期は終わりを迎え、受け入れ態勢のようなものに入っていく時期なのかもしれない。
たとえば、「みんなの弟と思って」とか、「新しい弟ができたと思って」とか言って、多少のできなさを大目に見るポジションを仕向けてみたり。
「あの子ができないから悪い」ってのは、大人がラベリングしていくのだろうな、と改めて思う。だから気をつけてみる。
怠けではなく、課題なのだ。そして、「自分はなぜできないのか」と悩み始めもする。そして、どうしたものかと助けたらいいかなと思う。
ヘルプスキルでもいいし、可視化して分かりやすくでもいいし、何かその子にハマる手立てをそこから考えていこう。
「なぜ、やらないのか。」
「やれないから。」である。
「じゃあ、やれるようにしようぜ」というのが仕事。
やってあげる時期、指図する時期を越え、次に向かっていくんだろうな、と思う。
いろいろ大目に見ながらね。
席替えをしたり、やんわりとケアの空気を漂わせたりしながら、まあ、とりあえず「クラス」でこの船を漕いでいってみようという感じだ。
「よく見れていない」という内省ばかりなのだが、連絡をこまめにしていれば、それで本当によく見てくださってともなる。
言い訳せずにね。目をかけながら。
みんなを少しでも見ていきたい。
たぶん肝は、「見てほしい時に見る」ってことなんだろうな。
そして、手紙を送り合う実践も始める。
早速、一通来る。とても有り難い手紙だ。
大切にしなきゃなあ。彼らを。
手紙をもらった感想を聞いてみよう。