セルフイメージと能力のギャップが「生きづらさ」である。
セルフイメージは、自分勝手な自分への印象である。
ビリーフ。
主観的な立場や感情である。
結果の印象と入口の印象とがある。
能力は、後天的に巻き起こっているもの。
現象や状況、捉え方、実行できるかどうかなど。
このギャップを受け入れるか、批難するかで「生きづらさ」が変わる。
子どもが変わらなければ受け入れられない。または、受け入れられた感じがしない。というのでは、公に疑問を抱かずにはいられない。
学校で働いていて迫ってくる同僚の目
- 学力はどうか
- ルールは守らせられているか
- 好き嫌いなく食べさせているか
- 忘れ物はないか
- 迷惑はかけないか(邪魔でないか)
集団が破綻するという。果たしてそれは本当か、ということが問いたい。
そんなことより、なんであれ生きていける自信か、しなやかに柔らかになだらかに変わっていける実感が必要ではないか。公教育では、「自己への希望」をもたせたい。
来るべき時のために適応するための保険ではなく、やれると思える、威勢をもたせたい。
生真面目に、着実に、行いたくてもできないわけである。
改めて「インクルーシブ 」。
通常級でその子の育ちに寄り添っていくってことなんだろうな。カリキュラムを強いるってことではないと思うんだ。享受していきたい。
変えるとか、正すとか、直すとかではなく。