かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

192:モノサシが変わるたびに

自分のクラスには週一時間、専科に入ってもらっている。今日はその授業を見た。気になるあの子の違う姿がたくさん目についた。ような気がする。

 

珍しく、ジェラシーなるものを感じる。自分なりに頑張って、手懐けてきたつもりだからだろう。その手懐けるというような、自分が取り繕っているような状態が、彼らへの不影響なのではないか。と思う。

 

なつかせて、言うことを聞かせるようにする。なんて気持ち悪い響きだろう。本当はクーデターが起きない程度に暴君でいいのかもしれない。それを回避しようと自分でいないから、おかしなことになる。偽りの平和にを演出して幻想を埋め込んでいるような気分だ。

 

「社会ではそれは許されない!」なんて指導言が嫌いだけれど、その真逆のような局地だって、カオスである。

 

それでも、彼らは私のクラスでよかったと言うのだろうか。それとも、他の先生との触れ合いは、「いや、他の先生もいいのかもよ」というような、楽しみに思いを巡らすための、次年度以降の躍進のためのいいきっかけなのだろうか。

 

んー。

ただ、「それを許した。許していない。」の差に過ぎないようにも思う。

「それを咎められた。だから、余計なことをせずにいる」だけという子どもたち。

そこに、思考・判断、己はあるのか。

 

 

 

 

 

あと「ありのままでいい、なんてことはない」と最近何かの本で見た。

これだったかな。

上級国民/下級国民(小学館新書)

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  • 作者:橘玲
  • 発売日: 2019/08/01
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