かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

200:誰かにとっては生活の一部の中に漂う僕ら

片付け!!

 

だな。

 

これがでかいのかもしれない。

 

「片付け」で一生の幸せは訪れるのかもしれない。最近いくらかあたまが軽いのは、片付けのおかげなんだと思う。この先、部屋の本が片付けばさらに頭は軽くなりそうだ。

 

本を仕入れる量と出す量をコントロールしないと、だ。

 

年間の量が減らす方向で動いているといいな。

 

演じること

教師にはそれが求められているのだよなあ。

出来ていないというわけではないけれど、足りないとも思う。

 

子どもは私の鏡なのではないだろうか。

 

彼らには、今年した素晴らしい行いの数々を、身体にいれて、忘れないで、2年生になっていってほしい。

 

生活の一部に漂っているというのに、その中で演じることはできるのだろうか。すると、彼らに映る姿も演じるものになる。そうすると、彼らにも演じることが起こるのだろう。

教室にある生活者としての学び、学習態度。彼らにとって生活の中に位置づけられている学び。私たちにとっての彼らの生活の中でない生活の中に位置づけられている学び。この両方を担っている。