なんていうのは贅沢なんだろうか。
幾分授業がマシになっただけなのだろうか。
「聴き合う教室」っていいなあと思って、学びの協同体を意識するも、マシになったと思えるのは、こんな2月の半ばである。
私のやり方では、1年間で関係を作って彼らをほんの少し知って終わりである。
活かせはじめたころには、お別れである。
そのためには、PAしかり、諸々の手法を用いて、4,5月でもっとそれぞれの関係、距離を詰めないといけないのだろうな。なかなかできない。
学習技能、聴き合いについて課題が残る現在だけれど、「それは、永遠のテーマだよ」と諭され、そこに向き合い続ける限りはなのとかやってもいい資格があるのだと思いな直させてもらった。
聴くことについて今更だけれど、少し別の指導言を入れてみた。
一つは、外在化で、虫を追い出そう・やっつけよう的なニュアンスで指導してみた。誰かを責める物言いから脱却ができる。虫のせいにしてしまった方が、関係によいだろう。
もう一つは、「聞こえなかったのか、聞いていなかったのか」を問い、メタさせること、自己評価させることである。「聞いていなかった」の場合は、「それは誰が直せることなのか」と問い、「そうだよ、Aさんならできるよ、そういう人になっていこうね」などと勇気づけを意識して言葉を添える。
そして、もう一つ課題がある。もう少しなんとかしたい課題が。
認知行動療法的なアプローチで見るといいだろうな。
これは、ある程度、体の(人員の)余裕がないと難しいよなあ。
尊厳を損ねず、どう応じるといいのやら。