かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

198:解決はどう起こるか

今日は、「解決できるか分からないなあ」と思いつつも、心の底の底では「解決はどうせ起こる」という目線で一日を過ごした。

 

結果、「解決は起こる」。

これは、起こしているのだろうか。

もう、天気のように風まかせで偶然に、でも、今日が晴れなようにある部分においては必然的に起こっているのだろうか。

 

相手の思いを想像する。

何が引っかかっているのかを想像する。

その想像が実際に近いところに寄せられれば、思いを拭うことができる。

問題は解決し得る。

 

大きく括れば、問題とは「不安」である。

 

これは、裏を返せば「愛情」でもある。

 

その愛情に大きく頷き、希望を感じられた時、解決が起こるのかもしれない。

 

希望を感じてもらい、希望を感じもする。

誠実に。精一杯に。

 

今回は、私が希望を感じた。美しい心でいた。そういうことから、解決は起こるのかもしれない。結構、クッションを気にして話もしたってのもあるか。

 

また、それは、「信頼」とも言い換えられるかもしれない。すべては信頼に値すると思えるなら、問題の行く末を、相手に委ねて、解決を起こすことができるのかもしれない。彼らには解決する能力があると。彼らには解決する十分な準備と心の用意があると。また、そのための能力がすでに備わっていると信頼するのである。

197:『インクルーシブ教育を通常学級で実践するってどういうこと?』

今、通勤中に目を通している本。

 

「インクルーシブ」というブラックボックス的な言葉には、多様性が内包され、ブラックボックスしかりブラックホールのようだ。と改めて思う。

 

インクルーシブや共生社会について考えることは、それぞれのどんな「観」も「ま、インクルーシブ」ってことで飲み込んでいく。

 

現場の肌感覚では、まだ、過渡期だな、と思う。

 

とりあえず、「インクルーシブ教育」に関して言えば、私は「18歳のとき」に「どうなっているか、どこにいるか」を目指して、学習を積み重ねていくイメージをもっている。

 

その子の願いスタートでもいいし、通常発達と同じに行うにはでもいいし、まず居ることや関係構築を図るでもいい。

 

ただ、どうしたって、時間は過ぎていく。ということだけが課題である。

 

その課題に対して、できることを「合意」しながら練っていく。さまざまな人々の歴史をもとにカリキュラムを仕立てていく他ない。というイメージである。

 

その子はどこでどんな風に生きていくのか。それだけである。

 

目下、自分のインクルーシブは、さまざまな大人も包含するようなものでもありたいね。

 

 

 

196:売れるときに売るしかないか

恩を売る。恩に着せる。嫌な感じだろうか。

 

でも、忙しいからね。

 

売れるときに売るしかないからなあ。

 

今日は、不思議なことが起こっていた日だった。

 

子が成長を宣言する。

 

「どうぞ。」って感じで、私は蚊帳の外にいるようだった。

 

人はタイミングで、勝手に育つ。巣立つもんなんじゃないか、と思った。私なんか一瞬でどこまでも遠くに切り離されてしまう。

 

「スーパー宣言。」

このクラスでは2人目である。謎のスーパー宣言。

 

またつまずいたり、助けを求められたりしたときには、手を差し伸べたらいい。そんくらいの話なのかもしれない。

 

そして、なぜか私の肩を叩きたがるという、ね。

 

もう一つ「もっと授業がやりたい」と言ってくれた子もいたな。なんでなんだろうな。そして、どんな授業がやりたいんだろうな。聞いてみよう。

 

棚ぼたなのだけれど、物語の続きを作文用紙に書いて、それを色画用紙ではさんだ。自分が本を作れるなんて思わなくてビックリした、ととても感動していた。

 

こういうのは、一昨年にしたからスッとできることで、こういう遠くの子どもたちと生み出したことが未来でギフトになる感じは、この仕事の心地よいところである。

 

人々が私を通じて全く予期しないところでつながっている実感は心地よい。あなたがいたから、また別のあなたが生まれるというようなイメージ。いつか、そのあなたがたが交わるときを本当は楽しみにしている。

195:レールを乗り換える

席替え:席は重要である。

 

伝え型:いざというときというか、好評なのはこの本で読んだ話し方である。

 

とにかく3つが限度である。

それ以上は言っただけになる。

 

席を譲られた。

ファンシーララの不思議さんに出会った気分だった。

 

そういえば、最近、「優しい、優しい」とも言われる。

「いや、元から、元から」と思う。

 

プロジェクターの準備をする

スライドを手伝う

meetで授業をする

 

「たぬきの糸車」が当たる

自発性は、選択肢程度。

発表の形式を選ばせた。

読みがよく、物語に親しめた。

194:一肌脱ぐ

一肌脱ぐということは。

 

「コストをかける」ということかもしれない。

 

そうすることで、誰かを救えるときがあるのかもしれない。

 

背に腹は変えられない。

 

やるしかない。「じゃあ、それ私がやります」なんていい響きだろう。

 

そして、そろそろ成績をまとめていかないとだなあ。

193:パワポを作るって話で

17時以降。めっちゃもってかれる。

あーあ。仕方ない。ああ、仕方ない。

同僚性のなさゆえとも思うなあ。

 

自信があったら、もっと請け負えるのだろうか。残念。

 

「スライド、作り方」って検索したら、それなりに出るわけだけども。

【プレゼン】見やすいプレゼン資料の作り方【初心者用】

 

教室は過ごしやすいです。

みんなでね、頑張りましょうね。

 

あの子が体育で嬉しそうでよかった。

国語が楽しいと言ってもらってよかった。読んだことをシェアするのを楽しいって思ってもらえるといいよなあ。

算数は通常営業。

192:モノサシが変わるたびに

自分のクラスには週一時間、専科に入ってもらっている。今日はその授業を見た。気になるあの子の違う姿がたくさん目についた。ような気がする。

 

珍しく、ジェラシーなるものを感じる。自分なりに頑張って、手懐けてきたつもりだからだろう。その手懐けるというような、自分が取り繕っているような状態が、彼らへの不影響なのではないか。と思う。

 

なつかせて、言うことを聞かせるようにする。なんて気持ち悪い響きだろう。本当はクーデターが起きない程度に暴君でいいのかもしれない。それを回避しようと自分でいないから、おかしなことになる。偽りの平和にを演出して幻想を埋め込んでいるような気分だ。

 

「社会ではそれは許されない!」なんて指導言が嫌いだけれど、その真逆のような局地だって、カオスである。

 

それでも、彼らは私のクラスでよかったと言うのだろうか。それとも、他の先生との触れ合いは、「いや、他の先生もいいのかもよ」というような、楽しみに思いを巡らすための、次年度以降の躍進のためのいいきっかけなのだろうか。

 

んー。

ただ、「それを許した。許していない。」の差に過ぎないようにも思う。

「それを咎められた。だから、余計なことをせずにいる」だけという子どもたち。

そこに、思考・判断、己はあるのか。

 

 

 

 

 

あと「ありのままでいい、なんてことはない」と最近何かの本で見た。

これだったかな。

上級国民/下級国民(小学館新書)

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  • 作者:橘玲
  • 発売日: 2019/08/01
  • メディア: Kindle
 

 

 

189:「生きづらさ」について

セルフイメージと能力のギャップが「生きづらさ」である。

 

セルフイメージは、自分勝手な自分への印象である。

ビリーフ。

主観的な立場や感情である。

 

結果の印象と入口の印象とがある。

 

能力は、後天的に巻き起こっているもの。

現象や状況、捉え方、実行できるかどうかなど。

 

このギャップを受け入れるか、批難するかで「生きづらさ」が変わる。

 

子どもが変わらなければ受け入れられない。または、受け入れられた感じがしない。というのでは、公に疑問を抱かずにはいられない。

 

学校で働いていて迫ってくる同僚の目

  • 学力はどうか
  • ルールは守らせられているか
  • 好き嫌いなく食べさせているか
  • 忘れ物はないか
  • 迷惑はかけないか(邪魔でないか)

集団が破綻するという。果たしてそれは本当か、ということが問いたい。

 

そんなことより、なんであれ生きていける自信か、しなやかに柔らかになだらかに変わっていける実感が必要ではないか。公教育では、「自己への希望」をもたせたい。

 

来るべき時のために適応するための保険ではなく、やれると思える、威勢をもたせたい。

 

生真面目に、着実に、行いたくてもできないわけである。

 

改めて「インクルーシブ 」。

 

通常級でその子の育ちに寄り添っていくってことなんだろうな。カリキュラムを強いるってことではないと思うんだ。享受していきたい。

 

変えるとか、正すとか、直すとかではなく。