今日は、「解決できるか分からないなあ」と思いつつも、心の底の底では「解決はどうせ起こる」という目線で一日を過ごした。
結果、「解決は起こる」。
これは、起こしているのだろうか。
もう、天気のように風まかせで偶然に、でも、今日が晴れなようにある部分においては必然的に起こっているのだろうか。
相手の思いを想像する。
何が引っかかっているのかを想像する。
その想像が実際に近いところに寄せられれば、思いを拭うことができる。
問題は解決し得る。
大きく括れば、問題とは「不安」である。
これは、裏を返せば「愛情」でもある。
その愛情に大きく頷き、希望を感じられた時、解決が起こるのかもしれない。
希望を感じてもらい、希望を感じもする。
誠実に。精一杯に。
今回は、私が希望を感じた。美しい心でいた。そういうことから、解決は起こるのかもしれない。結構、クッションを気にして話もしたってのもあるか。
また、それは、「信頼」とも言い換えられるかもしれない。すべては信頼に値すると思えるなら、問題の行く末を、相手に委ねて、解決を起こすことができるのかもしれない。彼らには解決する能力があると。彼らには解決する十分な準備と心の用意があると。また、そのための能力がすでに備わっていると信頼するのである。