と言っておく。
必要なルールを守らせる。
そうでないものについては、個に応じて。
そういう立場でいよう。としたのだなら、そういよう。そうあろう。ブレずに。
と言っておく。
必要なルールを守らせる。
そうでないものについては、個に応じて。
そういう立場でいよう。としたのだなら、そういよう。そうあろう。ブレずに。
別に困っていないんだよなあ。
学習規律って何のためにいるのだろうなあ。
その子なりに学習していればいいかな、と思ってしまう。が「じゃあ、あなたのいう学習って何ですか?」って言われると少し困るけれど、対話的に学ぶっていうのも、今のところは、理解の手段でしかない。まあ、対話っていいなあ、くらいには思わせられるかもしれないけれど、対話によってかえってややこしいことにもなる。
本当に対話が必要になのは、なんだろうなあ。共通の目標があって、達成したいことがあって、それで困っているときだよなあ。
そのハードルを設けろってことかなあ。クラス全員で外で遊ぶには?とかだろうか。
道徳なんかではいいと思うんだよね。各々の捉えを知って違いを享受するっていうのは。
今週は、本当に「いい日だ」という日しかない。
年度のはじめからこういうクラスを作れる人は一年中この仕事が楽しいのだろうな。
そうなれたら最高だわ。
理由の一つに「日案」の効果があるかもしれない。
働きすぎが起こらない。
すべきタスクのみ行えている。
明日への引き継ぎが容易である。
週案では、そこに示せる情報量が足りていなかったのだ。
些細ことも記録しやすい。
この本で見た17時に帰れるようにその日のタスクを設計して、新しく入った仕事は翌日に回すという教えも生きている。
おかげで出るべき時間に退勤できている。
休み時間は、ドロケイとドッジボールができている。
休み時間にも予定が書けるので、児童との約束を書いておけるし、授業準備があれば断れる。
予定で動いていることが子どもにも伝わっているようである。
というわけで、日案万歳。
授業のテンポに課題があると思っていた。野中さんの本にも「テンポとリズム」というのがよく書かれているのだけど、具体的にどういうことなのかがよく分かっていなかった。本当は達人たちの授業を見に行けばいいのだろうけれど、それもなかなかかなわず(コロナのせい?いやいややる気がないだけです)、また本を頼ることにした。読んでると、まだまだ改善できそうなところが見つかったので、まずそこを変えてみることにする。そうして、テンポを感じられるようになったらそれでいいなあ。
ポイントは、「学校は毎日ある」という感覚かな、と思う。
私の悪い癖は、挙手に応じすぎてしまうというところで、その時の「言いたさ」を大切にしたくなってしまうことがテンポを悪くしていると思った。
だから、基本的には、「今日指されなくて活躍できなくても、明日活躍できる」でいいのだ。
私が気をつけはじめてみたことは
これらで、多少テンポが(無駄のない時間が)生まれているように感じた。
授業のパーツというのは、算数だったら「常時活動、例題、練習問題、確かめ問題」というように概ね4つくらいのパーツしかなく、それにどう時間配分するかがテンポについての課題である。この4つをしっかりやろうとすると、長い説明や何人もの挙手に対応することができない。
「ここまでやりたい」が先にあって、そこに子どもたちには乗っかってもらうということをネタバレ的に言ってしまった方がいいのかもしれない。その関係で、全員がいつも言えるわけではない、ということを。もちろん思考を出し合ったり、思いや考えを知らせ合ったりする授業なら、それ用に時間を確保するということだ(というか、逆に今まで授業をどう設計して、どう進めてたんだよってね。すみません。よく分かっていなかったのだと思います)。
3学期に入って、終わり感みたいなのがあるのか、「人がいい」みたいな子どもたちが多くなってきている。
そして「いいなあ」と思うのは、「いい人」を無理強いはしてきていないので、無理がなく「いい人」をやってくれているよなあ、というところだ。
自分たちで考えたクラス目標に「やさしさ」についての言葉があり、それを目指したいと思ってくれているのだと感じる。
一人一役で役割を果たしたり、トラブルの解決だったり、やり直したり、謝ったり許したり、一緒に遊んだり、ほめたり認めたり、受け入れたり、助けたりが強いられるではなく(雰囲気には煽られているかもしれないが)、当然の営みとして起こっているように見える。
こちらの心の持ち様としても、「伸びない」ではなく、「成果」が感じられているので、一安心というのもある。
いろんな日があること。
待つこと。
リフレームや捉え直しのくさびを打つこと。
教師以上の学びは起こらない。
言葉遣いが気になる。
通常級の中のUDや特別支援教育は、「誰もが同じようにできるため」のものではない。
その子が居られるようにし、少しでもその子が参加しやすくするためのものだ。なので、「できる」を追うと、こちらは消耗していくかもしれない。やる力はあっても、できないというより、やらない。やれない。と、いうのがある。
楽しいことを思い出すのが苦手なのだけれど、何が楽しいのかという「目」をそもそももち合わせていないのかな、という課題。
著しく通常営業の日。
職員室を17:13に出て、17:22の電車に乗る。実際は着替えたりなんだりとあるので、17:15に職場を出ることになる。7分粘り強く走ると間に合う。
大変でも、それで帰る時間が14分変わるから、是非とも17:22に乗りたいものだ。
今月に入って、そんな風に早く帰れることが多い。少なからず予定や持ち物を整理できているからかもしれない。もっと整理するともっと仕事がしやすくなるかもしれない。
「場所はコスト」である。
妻が「空間は資本である」ということを言っていてパクリやん!と笑うのだけれど、その通りである。
場所や空間に余裕があると生産性が上がる。だから「場所はコスト」に直結すると考えられる。
分類するだけでも随分働きやすくなるものだ。
職員室の中も、いや、学校の中も、何がどこにあるか分かると働きやすさが高まるはずだ。異動して一番困るのは何がどこにあるか、そもそもモノがあるのかが分からないことだ。資源が分からないと授業で使えるモノが分からないわけだから、そりゃそうなのだけれども。
コロナ関連の不利益。「しょうがない」のだろうか。
「しょうがない」としたら、それで、リアルに何をしてあげられるのだろうか。
「学びの保障をする」と掲げたところで、質の保障はあるだろうか。
ぬー。
人は一つのことに「臨場感」をもつのだそうだ。どれに臨場感を抱くか。その世界を生きているのだろうか。
「しょうがはあるか」
あまりピンと来ていない時期。
今年の四文字熟語は「和顔愛語」です。
それを意識して、なるべくキープできたら、いい一年だったと思えるかな。年末どう思うかが楽しみだ。
他に、微細ながら、頑張ること。というか、やってみようということがあるので、メモしておく。具体的に仕事とは関係のない話で、仕事で何を頑張るのかは、また考えないとなあ。
絶賛、断酒中である。
いちばんお酒が必要そうなお正月に一滴も飲まずに済んだ。
12/31から飲んでいないので、半月ほど飲まずに済んだ。よかった。
特別な日を除いて、惰性で飲んでいたお酒をやめられることは、健康にいいだろうし、お財布にも優しいだろう。
平常を向上するイメージ。
別に「はじめん」じゃないのだけれど、食後のスナック菓子がえらく当たり前になっていたので、やはりそれは健康によくない。だろうということで、こちらも断ちたいと思っている。
こちらも、今のところ断つことができている。
ただ、裏ルール的に箱入りのアイスはまだあり。
お煎餅とか、芋けんぴならいいかな、とも思っている。
とりあえず余分な油や添加物を避けていきたい。
断チョコなんてむずいだろうしなあ。ただ、余計な出費を減らしていく。
朝ご飯を意識して食べたい。脱は健康である
こちらも約一ヶ月続いている。結局、年間いくら使っているのかよく分かっていなかったので、記録していく。
子どもも生まれたし、人生を見直しつつ、見通していくために頑張る。
これに伴って、帰り道の買い食いも減った。一日200円前後の浪費がなくなった。
月4000円とかだろうけど、不健康かつ無駄遣いなので、減らせて嬉しい。迷う時もあるけれど、なんとなく、この続けていられる感覚を逃したくないので、ストイックに続けていく。
寒さ対策である。筋肉が熱を作るとのこと。あと、再三kindleで見かける、筋トレが最強のソリューション的な本の言う通り、まあ、筋トレしてたら、やたらに暗くならんのかな、なんて思って。
スクワットと腕立てと足回すやつをちょこちょこやっています。これも継続できている。
毎日3つできたことを手帳に書いている。
ほぼ日のweeksを用いて持続できている。
よい。
学校っぽいのあったわ。
これは、野中さんの本を見て、やってみようと思ったもの。
野中さんは、担任と教務と初任研担当を同時にやっていた時に(すごすぎ)、自分の仕事が把握できなくなったそう。ということで、日案にタスクを起こしていたらしい。
私は担任の仕事しかないのだけれど、そこにオールインワン的な記録ができるかもと思ってやってみることにした。
教室では、日案のファイルと成績のファイルを使って記録していく。
この思考訓練を習慣の中に入れていきたい。今は、ふと時間のある時になってしまっているので、なんとかルーティンに組み込みたい気持ちである。
これらを続けられたら十分に良い一年かもしれないなあ。
ネガティヴ与え方の自己肯定感キープはダメだな。
YOASOBIの歌を聴いているけれど、悲観の中の希望が多いな。短編の小説を劇的にするには誰かが死ぬか、世界が終わるしかないんだろうか。あと恋愛。
集団の中で、自分の価値を高めていこうとすること。そんなことばかり気にしていて。本当にそれを求めるなら、じゃあ、そこに愚直な謙虚さは持ち合わせているか。「ありがとうございます」と教わることができているのか。「ふん!」となっちゃいないか。ねぇ。
まあ、いちいち」、悲観と楽観に傾倒してアートしなくてもいいので、すべきタスクをササッとほうきで掃いて明日へ向かいたい。そして、早く帰りたい。そして、悲観も楽観もないその間で過ごしたいわ。
ところで、3月生まれの子は、7月生まれの子と比べたら、8か月差がある。その差はいつ、いつの間に埋まるのだろうか。
1月現在で、8か月前にさかのぼるとしたら、5月くらい……なるほどなあ。
気にしなくてもいいけど、気にしたくなるような時もある。その8か月分の絶賛発達中の脳を何も考慮せず、同じ学年だからってことで、穴を埋められるんだろうか。んー。自分も早生まれだけども。そりゃあセンスによるけれど、ハンデはあるんじゃないだろうか。
今になって、マインドマップが気になり……。
二日連続で、17時に出られていてよい。
この調子で頑張っていきたい!!