かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

向山式

向山式について書く。

 

最初の出会い。大学の図書館にズラーっと全集があるのが目に止まった。

 

すでに網羅的に教育法というのは、提案されているのだなあと驚いた。困ったら、こういうものを参考にしろということかなとも思った。

 

タイトルを見て、自分の中にスッキリとした解答が浮かばないものをパラパラと見た。すごいなあと思ったし、反対にこれは、知らないことは知ってないとマズイとも思った。

 

それから、時間を見つけては、立ち読み風に全集に目を通すようになった。

 

ただし、その時その時の思いつきで見てしまっていたために、心に残っているものもあれば、残っていないものもあるし、どれに何が載っていたかが曖昧になってしまっている。

 

そして、今年。改めて自分の力のなさにようやくはっきりと気がついて『授業の腕を上げる法則』を、きちんと身体に染みるように読んでいる。

 

実際にその身体で子どもに触れると、子どもは伸びるし、楽しそうだし、私も楽しいと感じた。

 

向山式には「対40人の子どもが、教室という小さい部屋にいる時の、そこに携わる人間の行動規範が示されている」と思えた。

 

時間と空間という制約がある中で、「こうしたい時には、こういうやり方」というのがよく示されている。

 

学校は特段、「時間の制約」があまりにもありすぎるのだと、今は理解している。そうなると、どうしても効率性を求めざるを得ない部分がある。では、どうすれば「40人が効率的に学べるか」の作法が向山式には示されていると言える。

 

伸びやかにその子なりのペースでいいのなら、向山式は必要ないだろうなと思うが、教科書を辿るだけで時数が目一杯なので、そうした余裕は今の現場にはないなあ、と思う。

 

学級とは、学級経営と言われるように、教師はそこの経営者である。何かをさせなければならない部下を、40人抱えた組織なのである。

 

その何かをさせるための、規律を経営者が示さないと、各々の判断で行動が選択され、学級という組織は空中分解していく。

 

実際は、一人ひとりの「思い」を大切にしながら、経営していくことも可能だろうと思う。ただし、それには、経営者の人間力が必要である。教師だからというのではなく、誰でも話しかけたくなるような、人となりである必要があるということだ。それは、見た目からはじまり、立ち振る舞いや、特技、ユーモア、これまでの実績などなど、世の中でインフルエンサーと呼ばれる人のような魅力が必要だと思う。いわゆる『影響力の武器』にあるような項目のことだ。一言で言えばカリスマ的かということてまある。

 

私にそれはないなあ、と思う。だから、足で稼ぐしかなくなる。単純接触回数を増やして、コミュニケーションを重ねて、組織を経営していくしかない。ただし、学校にはその時間がない。特別支援学級では、できた。それは、一人当たりへの時間数が、通常の学級より多いからという単純にそれだけのことである。人は時間のゆとりさえあれば、誰とでも仲良くできるのだろうなと思う。

 

通常の学級3年目にして、ようやく分かった。つまり「ハピペンの手法では、一般的な人の目から見て通常の学級で果たすべきと思われるような責任を果たせない」ということだ。

 

時間というコストをかけまくれば、なんとかなるかもしれない。日記を書かせて、毎日コメントするとか、定期的に個別に話し合う時間を設けるとか。ただし、現実的ではないと思う。関係づくりに、コストがかかりすぎてしまう。実際に必要な関係は、1年程度もてばいいもので、一生続くようなものでなくていい。反対に、コストをかければ、その分関係は続くものになるだろうと思う。

 

もちろん関係の中には、フィーリングが合った、かつ8:2の法則もあるため、時間とっていようがいまいが、影響力が強く働く子もいる。

 

1年目は、ある子が転出してしまうということが、クライマックスだった。その子は、なかなか席を立つ子だったが、その子がその子でい続けながらも、周囲の寛容とか愛とかによって、受け入れられるということを体験し、みんなが微笑ましくなれた雰囲気のある物語だった。ただし、学習を全員に自分が満足いくように教えられなかった実感がある。

 

2年目は、違和感があった。管理される楽しさを提供しきれなかったからだと思えた。

 

話を向山式のことに戻す。向山式は、いわばバンドスコアである。いつかギターの雑誌に「コピーにも個性は出る」と書かれていたように、どんなに完全コピということをしても、そこにその人の個性は出るということだ。そうなると、どんなに法則化が形式貼ったものでも、自分というものは現れてくるだろうと思う。そこで大事なのは、「自分はそれを演奏したいか」たいことになる。自分の耳で聴いて、その曲をいいと思うか。その過程をすっ飛ばすと法則化は、よくない。その人が何を奏でているかではなく、その人が奏でていればなんでもいいとなってしまうからである。それでは、盲目である。自分は、演者ではなく、ファンになってしまっている。教師であれば、教師ではなくファンになってしまっている。教師だから、ある指導の仕方が必要だと感じて、それを学ぶことと。ある教師がやっているからと理由で、私もそれをやるということ。では、後者は、ファンでしかない。

 

昨年、組んでいた先生は、学級経営が上手だと思った。この間久しぶりに教室にいっても、今年はさらによい雰囲気だと感じた。

 

いろいろな子どもの見方を教わったが、今になって見ると、随所に向山式が散りばめられていることが分かった(というよりは、長い教師経験を積むとそうなっていくだけなのかもしれない)。特に、「個別評定の原則」が重要だと感じた(なんと、これは「第九条」の原則ということで、明日が楽しみである」)。

 

今日、本を見ると、その先生のやり方に近かった。

  1. 丁寧に書いたかどうか、先生が見ることを知らせる
  2. 書き方を教える
  3. 評定することを知らせ、不合格ならばやり直しをさせる
  4. ◯か×、A・B・Cなどの評定をノートに示す

 

評価は「うまい」「よくできた」「かしこい」「はやい」「よくがんばった」などであり、評定は狭い範囲で、子どもの力のレベルの位置を定めることになる。

ハピペンは評価ばかりだった。ただし、評定は、競争の脳を呼び起こしましてしまうと思う。だから、いろいろな子がいろいろな場面で活躍し、どの子も良い評定をもらい得るように活動を考えたり、視点をもったりする必要はあるだろうなあ。

 

話をまた元に戻すと。そうした、熟練した人の振る舞いの中にある、子どもが安心できるような。もとい、「対40人の子どもが、教室という小さい部屋にいる状況」で、安心できる組織づくりに必要な振る舞い・リーダーシップ・作法が、向山式には散りばめられている。

 

そして、自分の教えたいことを教えるには、さらなる効率化も必要で、スピードが上がって、リズムが良くなって、テンポも早くなって、時間を確保する必要がある。それには、杉渕先生の「ユニット式」が役に立つだろうなと思う。これもまた学習していこうと思う。

 

もちろんカリスマティックに、その時の学校での立場に応じて、学級で影響のある存在として君臨できることも多々あると思う。ただ、うまくいかないと感じたり、自分の満足感がない体験をしたから、「自分で在る」ということよりは、普遍・不変の技術が必要だと思った。そして、どうしたって、何を学ぼうが、何をしようが、そこに自分というものは、いつだって在るのだから、これでやっていく。

 

新版 授業の腕を上げる法則 (学芸みらい教育新書 1)
 

 





 

 

ハピペンちの子育て

一昨日子どもが生まれた。立ち合いたかったが、立ち合えなかったってことをたまに思い出していたが、早く生まれたから、それだけ早く会えたからいいか。と思い嬉しくなった。

 

爪で顔をひっかくってことが気になったが、今日になると少し減った。

つまり、一事が万事気にしないことだ。あと、やはり泣く。

それでも、いちいち「泣き止ませよう」としないこと。泣き止ませてみようとはしてみるとして、泣き止ませるということを達成しないといけないという状況に追い込まないことだ。たとえば、泣いているのは遊びだと思うこと。

 

あと、今日は、駅ビルで、クリスマス抽選をした。最終日!って思ったらもう全部当たりは出てしまっていた(T ^ T)

参加賞10個。

ティッシュ10個。

2万5千円分やんけ!!!!

とまあ、そんな一日だった。ストレスフリーになってしまったために3時に起き、23時まで活動してしまった。目いっぱい、一日を、命を楽しんだ気がする。

 

というわけで、大体の方針が見えてきたような気がした。三日目だが、「ハピペンちの子育て」について。

 

ハピペンちの子育て

三つの標語を掲げる。

 

  1. その「個」を見る
  2. 迷って、失敗して、上手くいかなくていい、いちいち気にしない
  3. 比較的上手くいっていることを探す

 

それぞれについて書く。

 

1.その「個」を見る

選択の尊重と対話(交渉)の余地のある家がよい。生まれて3日目からよく観察して、阻まないように、氣を通わせることや、ペーシングを意識してみている。「させたい」を減らす。ただし「それは、選べません」は使って諫める。

 

やっぱり、当事者なしで決めるのっていけすかないじゃない?

 

2.迷って、失敗して、上手くいかなくていい、いちいち気にしない

総じて子育ては上手くいかないはずである。やたら泣く時点でそう(笑)その敗北感ったらきっとすごいのだと思う。今は可愛いけれど。さっそく、夜中に洗礼を受けたと妻は言う。

 

それを

  • それを止めなければならない
  • そうならないために事前に工夫をしなければならない

となると詰む。

 

だから、それは「止まらなくてもいいもの」とリフレーミングする必要がある。たとえば、まだ、生まれて3日である。「泣く」っていうことは、「筋トレ」でもあるし、最初にした「遊び」でもあると捉える。周辺探索のための武器でもある。そうして、環境に作用している。学んでいる時間である。どこまで泣けるかって試しているときもあるかもしれない。どれも学習なのだ。

 

いろいろなことをするだろう。子ども自身も失敗するのだろう。熱烈歓迎!それを手放しで両手で抱きしめたい。 

 

そもそも

「子どもは気持ちの悪いことはしない」

 

久しぶりに思い出した名言だけど、その通りだと思う。今そこで存在を行為している、その子を信じようじゃないか。

 

3.比較的上手くいっていることを探す

かなりブリーフ的な目線。

かといって、私たちは無力でいないことにする。「よさ」に向かって、試せることを試し尽くしていく。私たちも学んでいく。たとえば、今日は、おばあちゃんとおじいちゃんが抱くと寝るということを発見していた。

 

妻は「寒さかもしれない」と考えた。タオルを4枚重ねる。すると、すやすやだったらしい。原因と結果が一致しているかは、分からないけれど、次に上手くいかない時のヒントになる。もしかしたら、ぎゅって圧迫感の心地よさかもしれないし、昨日は偶然そうだっただけ、かもしれないとして。そういう日もあるってことだ。そういう「比較的上手くいっていること」をストックしていって、豊かになっていきたい。合言葉は「まだ、試していないことはある」とか「まだ、手はある」とかだね。

 

二人とも「パセージ」に行ったので、子育てのための共通言語があるのも強いだろうなと思う。何より、かつて、妻と子どもを見ることをしたことがあるわけだけど、またそれができるってことが嬉しい。あの時と同じわくわくと、熱と、全く不安でなさと、この状態がごく自然で必然であるというフィット感を感じる。

アドラー心理学の学び方|日本アドラー心理学会(INDIVIDUAL PSYCHOLOGY)

 

そんなわけで、これまでの合算的に、ハピペンちの子育ては、インクルーシブで、ブリーフセラピーで、アドラー心理学な子育てが根底に流れる子育てになっていくのだと思う。

 

これは余談なのだけれど、結婚したことよりも、妻と家族になったのだな、という実感が強まる。ようやく家族になれた感。

 

私たちは家族になったのだ、と。

 

そして「家族はいろいろなことを決めなければならない小集団(団士郎)」ということを忘れず、共に生きていこう。

不登校の解法―家族のシステムとは何か (文春新書)

不登校の解法―家族のシステムとは何か (文春新書)

  • 作者:団 士郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2000/01/20
  • メディア: 新書
 

 

団士郎さんは、「かぞくのじかん」に連載している、こちらのマンガ?もおすすめです。

家族の練習問題―木陰の物語

家族の練習問題―木陰の物語

  • 作者:団 士郎
  • 出版社/メーカー: ホンブロック
  • 発売日: 2006/01/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

守られるルールには三つの原則がある

三つの原則を覚えて使いこなせていないので、ここでメモしておきたい。

 

この三つの原則は、おそらく正しいと思う。

 

これが、適切に守られている場合、子どもたちもそのルールから外れた行動を取らない。今のところは、それをはみ出る姿を見たことがない。

 

ただし、それなりに期限はあるかもしれない。そうして、壁のシミとなってしまったなら、また、ルールを更新すればいいだけである。

 

ちなみに、この原則はこの本で紹介されていたものです。

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amazonなどでは、売っておらず下の「アドラー心理学会」で買えます。

日本アドラー心理学会のホームページ|INDIVIDUAL PSYCHOLOGY

メルカリとかにはあるかも。

 

というわけで。

 

守られるルールには三つの原則がある

 

1.民主制

民主的に決まっていること。

自分たちが自分で決めていること。子どもが自分で納得して、それはそうだよねと納得して決めたルールは守られる。

 

2.合理性

スジが通っていること。

そりゃそうだよな。と思って理屈があれば守られる。

たとえば「宿題を忘れると、給食のおかわりができない」はスジが通っているとは言い難いと考える。

交通違反における罰則金も似たようなものだ。免許取消はスジが通っているだろう。

 

3.平等性

平等に全員に適用されること。

特権階級は、なし。

 

民主制、合理性、平等性があるルールは守られる。

 

残念ながら学校は、子どもにとっての「民主制」「合理性」「平等性」が控えめに言って「少ない」ルールだらけと思う(控えなければ「ない」)。

 

だから、少しだけ意識して、気をつけて、この三つを取り入れると、ルールは守られやすくなる。

 

人である方へ。人間らしい方へ向かえたなら、人はたちまち人間らしい方へ近づく。

 

たとえば

  • 全員ひいきというやつ
  • 一人も置いていかないというやつ
  • インクルーシブというやつ
  • 特別をつけない支援教育というやつ
  • みんな違ってみんないいというやつ
  • どの人間も生きていていいというやつ
  • 人権感覚というやつ
  • 共に生きるというやつ

 

これらはすべて、近い感覚のことと思う。

そして、こうした理念がシステムやそこにいる人の振る舞いとして実装されている場合。それらのどの場所も、上の三つの原則のルールづくりをしているのだと思う。

 

だから、優しく、温かく、人にフィットしていて、居場所になりやすく、人が根付くのではないだろうか。

 

【学校を人間らしい人間の居場所へ】

思春期の課題【後編】

「思春期の課題【後編】」です。

 

1.なりたい自分と現実の自分とのギャップ(済み)
2.生き方や社会のあり方への疑問(済み)
3.自立に伴う不安
4.孤独と向き合う

このうちの「3」と「4」について書いていきます。

 

【前編】はこちら

www.happypenguin.net

 

 

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3.自立に伴う不安

親をはじめとする大人によってつくられてきた過去の自己を否定し、もう大人から干渉されたくないという意識を強く持つようになることがあげられる。
児童期の開放的な自己は、思春期の訪れとともに、閉鎖的なかたちをとるようになり、自分の道を自分で切り開いていかねばならないことに伴う不安や孤独は増大していく。

だからこそ、この思春期の仕組みの中で、自分の力で自分を選んで這い出て、「自分をつくり上げること」が大切なのでしょう。
ただ、「自分の道を自分で切り開く」というニュアンスは、最終的に決めるのは自分というニュアンスだと思います。
決めるまでの、様々な情報は、是非他人を使って手に入れてください。
たとえば、必要な手段は、その「情報の集め方」と「情報のストックの仕方」、「情報の整理の仕方」なのかもしれません。
思春期に何かができないとしても、それは「知らないだけ」で、知りさえすればできるということを忘れないでください。
もう少し引用の続きがあります。
誰かにわかってほしい、支えてほしいという思いが切実になるが、不安ゆえに自己評価が揺らぎ、他人に自分の心をのぞかれることに非情に敏感になり、素直に心を開くことがなかなかできなくなる。
思春期には、孤独にさいなまれ、理解者を求めていながら、他者が用意に近づけないような態度をとることも少なくない。
自分の中の矛盾の葛藤と、社会や大人の中に見る矛盾とが入り混じって、モヤモヤにつながるのかもしれませんね。
自分だけに偏るでもなく、社会や大人に合わせるでもなく「自分の納得のいく自分を見つけること」が生きやすさにつながると思います。
そうしたときに「誰かに合わせてないから、この自分はダメ」という判断は、生きづらさにつながります。
誰かに合わせるというよりは、納得して選べるといいです。
納得のためには、「話し合い」や「会話」ができるといいのですが……。
機械的に何を求められているかを知るだけではなく「どうしてそう思うか」「何を考えて」「何を求めているのか」など、考えや気持ちをやり取りできることが理想です。
大抵、大人が聞く耳を持たなかったりしますが……。
そういうときは、やっぱり、誰かに相談をしてください。
一人で戦う必要はないと思います。
 

4.孤独と向き合う

思春期は孤独と向き合うときでもある。
自分の人生は自分で背負っていくしかない。
無自覚に家族に包まれて生きてきた段階から、こうした個別性を自覚して生きる段階への移行は、時に孤独地獄の深淵を垣間見せることになる。
孤独感は、悪いことではなくて、誰もが感じていいと受け取れますね。
思春期の先に、つながりを感じられる相手や、世界には気の合う人が必ずいるということを忘れてはいけません。
その孤独感に対して、一般的には、以下のように進むみたいです。
思春期は友人関係に重きをおき、仲間の間で秘密を持ったりしながら、さまざまな人間関係を経験するときである。
その中で、対人関係の苦手な子どもは、発達過程として家庭から距離を置きつつ友だち関係に重心を移すのが一般的であるが、両方との関係をうまく結ぶことができずに、葛藤の中で孤立感を一層増すことになりかねない。
これも、今の世の中ではよくあることだと思います。
私は、引っ越しなどが重なって友人関係が安定しなかったり、友だちが秘密を共有するときに偶然その日は一緒にいないということなどがあって、基盤となる友人関係をつくれませんでした。
家庭は家庭で、ごちゃごちゃっとしていました。(これは、またどこかで書きますね)
家庭においては、たとえば、共働きということも純粋に家庭でコミュニケーションする時間が少なくなるでしょう(共働き自体は全く悪くないですからね)。
虐待や貧困も問題になっていますね。
ですから、私は「コミュニケーションの質」が大事になると思っています。
必要なコミュニケーションが、必要な作法で取れると人は安心できるだろうなと。
 
最後に
思春期の心理状態は、理想的な自己を追求し、自立をめぐる孤独な戦いを強いられるところにその特徴があるが、そのなかで生まれる不安に耐えきれなくなったときに、自殺の危険が生じるとみることができる。
これは、肝です。
 
「理想的な自己」に辿り着いて親から離れて「自立」していくために、「現状の自分」を変えていかなければならない。
 
その中では一人で戦わなけらばならない「孤独な戦い」のシーンもある。
その進んでいる途中の不安に耐えられないと、自殺につながることすらあるということです。
それぐらいの不安があっても当然ということです。
 
ですから、自分と向き合うのは結局自分一人でしなければならないときもあるかと思いますが。
 
上手に他人ともかかわり、取り入れながら、不安になりすぎずに自分と社会との「折り合い」を見つけていってほしいなと思います。
 

おわりに

「思春期の心理的特徴」の「1」から「4」は、どの時代の子どもたちも一度はつまずくことだと思います。
 
もしかしたら、大人でも引きずっている人がいるでしょう。
それくらい簡単ではないし、ゆっくりでいいということです。
 
また、絶対に一人で戦わなければならないわけではないし、いろいろな人と出会ってだんだん変わっていくものだと思います。
それこそ時間が解決してくれるところもあると思います。
 
要は、脳の発達待ちです。
 
私の経験から、後悔を感じているのは、
 
「これからの生き方を自分自身で決めていかなければならず」というところで、
 
「決めるための情報があまりにも自分の中に少なかった」ということです。
少しでも、「見えない敵」が明らかになって、生きやすさのネタバレになればと思って、書いてみました。
他のページにもヒントはたくさんあると思うので見てみてください。

思春期の課題【前編】

思春期の課題

思春期は、頭の中がゴチャゴチャしたり、ボゥーッとしたり、不思議な感じがして苦しくなったり疲れたりする人もいると思います。

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そんな頭の中で、何が混乱して、何とぶつかっているのか、少しでも分かるとヒントになってリラックスできるところもあると思って書いてみます。
ここにある課題は、すぐに解決しなければならないものではないです。
少しずつ、自分を見つめながら、そしてできるところから、だんだん進めていくものだと思います。
今の自分で、ありのままで、何にも悪いことはないんだよ。
「今」から、誰かと力を合わせて少しでも変わっていけばいいんだよって願いを込めて書いてみます。
それでは、題して「見えない敵の見える化」です。

思春期の心理的特徴

以下の内容は、

 

学校現場から発信する子どもの自殺予防ガイドブック―いのちの危機と向き合って

学校現場から発信する子どもの自殺予防ガイドブック―いのちの危機と向き合って

 

 を参考に書いています。

 

この本の中で、思春期の心理的特徴について4つが挙げられています。

思春期の入り口に立つ子どもたちは、高校進学などの進路決定を迫られ、これからの生き方を自分自身で決めていかなければならず、親からの自律をめぐる葛藤が大きなテーマとなる。
(中略)
青少年の心理的特徴として、次の4点をあげている。

 

  1. なりたい自分と現実の自分とのギャップ
  2. 生き方や社会のあり方への疑問
  3. 自立に伴う不安
  4. 孤独と向き合う
(【前編】では、1と2について書きます)
 

1.なりたい自分と現実とのギャップ

思春期は、身体的発達、性的成熟、社会的役割の獲得、価値観・人生観の確立などを通して大人になっていく時期であり、理想像を思い描く傾向が強まりさまざまな心理的葛藤がおこる。

理想と現実の落差や自己・他者・社会の矛盾を受け入れ難く、情緒不安定になりやすい。

その結果、自己嫌悪に陥ったり、社会的不適応をきたすことが少なくない。 

 

葛藤があっていいし、理不尽や非合理、不条理を感じてもいいってことだ。

それは、誰が悪いでもない。
このすでにある社会の中で、「何ができるか」「何がしたいか」が大切で、それを基にして「自分を決めていっていい」ってことだ。
自信がない自分を責める必要はないよ、ってことだ。
上に書いてあることは「身体的発達、性的成熟、社会的役割の獲得、価値観・人生観」の確立さえされれば、大人になれるっていうヒントでもある。
(って言っても、自分自身もどれができているか分からないなあ……。)
こうも書いてある。
自分の生きる姿勢が定まらない時、地に足がつかない不安定さに陥り、周囲の人がみな大きく安定して堂々と見えてしまい、焦りから、さらなる自信喪失と情緒不安定をもたらすケースも多く見られる。
大いにあることだと思う。
「隣の芝は青」ってやつだ。
そして「生きる姿勢」ってこの響きだけでそう簡単ではないことが分かると思う。
迷ったり、ふさぎ込んだり、つまずいたりしながら、少しずつでいいってことだ。
 

2.生き方や社会のあり方への疑問

思春期は、自分ばかりでなく他人や社会に対して厳しい目を向けるところに特徴がある。
矛盾の多い大人の社会をみて、その不純と汚れに対する嫌悪が湧きあがってくる。
このような思いが、決して妥協を許さない、といったあまりにも頑なな理想主義的姿勢によって貫かれた場合、人間不信や現実社会の全否定という極端なかたちをとり、孤立傾向を強めることになる。
私は、この傾向が強くありました。
 
もし、思春期特有のこの傾向になるというルールを知っていたら、もう少し生きやすかったかもしれないと思います。
 
おそらく、生きやすかっただろうと思います。自分を外側から見るフレームを得られるからです。自分を一段上の枠組みからみてコントロールできるからです。
 
そして、上の言葉のおかげで、生きていると、完璧な人間なんていいないことに気づかされます。
 
自分が求めていた完璧な人間像に自分がなれないことに気づいたとき、完璧さを求めたことでこれまで傷つけてしまった人が多くいたのではないか、という罪の意識に襲われました。
また、できない自分を強く責めました。
もっと頑張らなければならない、という思いも強かったです。
ただ、この生き方は、たまらなく辛いです。
マヒしていて、辛いってことにも気づきませんでしたが、無意識はもう勘弁してくれといった感じで、笑い方を忘れたり、どんどん自分が自分から離れていくような気分になっていきました。
 
大人の社会はいいかげんなところで動いているところがあるが、「いい加減」は、「適度によい加減」といった面も含まれる。
弱点を抱えた人間が妥協しながら生きているというのが現実の社会であろう。
他人に対しても、弱点を含めてありのままの姿を認め、温かく受け入れること、社会との間に適度な折り合いをつけていくことも思春期の課題の一つである。
 
ここの言葉も素敵ですね。
 
問題は、大人の社会にいいかげんな部分があるということを誰も教えてくれないことです。
 
「何もかもいいかげんでよい」ということではないですが、人間ですからいいかげんになるときもあるのは当然のことなのです。
いつも完璧は無茶なことです。
なのに、大人が周囲に完璧を求めているってこともあって、それこそ大きな矛盾ですね。
 
そして、そういう状況にあって今現在辛い人もいるのだと思います。
「自分は乗り越えられたから」と言って、無理を押し付けてきたりして。
でも、無理をする必要はありません。
それでは、自分の人生ではなく、誰かの人生になってしまいます。
大人の厳しさに苦しんでいる人を何人も見てきました。
誰かに相談して大丈夫です。
そこから見える光が必ずあります。
少し話は変わりますが、
「折り合いをつけていく」というのは、21世紀のキーワードだと思います。
「折り合いをつけていく」ことは、練習すればできるようになることです。
また、いずれどこで書きます。
ヒントになるキーワードは「違いにいいねっ!」です。
長くなってしまうので、3、4は、次回に続きます。
 

【思春期のみんなへ】思春期は、不安で、心配で、反抗期でいい!

ビバ!思春期!

思春期は、人間の誰にでもある必要な期間

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身体の変化が起こってから18歳ぐらいまでが思春期と言われます。

(20代前半を第2の思春期と呼んでいる人もいます)

 

思春期に、大人の言うことを聞いてよい子になる必要はありません。

かと言って、悪い子になる必要もありません。

 

いろいろな経験をして、自分を見つけていってほしいです。

 

ただし、気をつけたいことがあります。

  • 周りに振り回されすぎないこと
  • 自分勝手になりすぎないこと

です(しかし、これがとても難しい)。

思春期を元気に過ごすためのアドバイスを下に書いておきます。

不安でいい

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「親子関係、友人関係、部活、恋愛、学校生活、進路、自分の性格、家庭環境のこと」と不安は尽きない。

不安がなくても、ちょっとこじれると、立ち直れなくなったりする。

けど、その不安を乗り越えてこその成長だし、対処できる自分を知って、より強い新しい自分を見つけることにつながる。

辛いかもしれないけれど、一番の問題は「自分の未来は想像した通りの未来になる」と思っているところだ。

これは二通りの意味がある。

(1)良いことが起こると思っているのに起こらないという不安。

たとえば、「明日の予定はこうなる」と思ったものが「こうならない」ことで起こる不安。

(2)悪いことが現実になったらどうしようという不安。

たとえば、「今度こうなったらどうしよう」と思ってその「どうしよう」という気持ちから起こる不安。

面白いのは、(1)は起こるし、(2)は起こらないというところ。

どんな予想を立てても、そう誓い合っても、思春期はどの人も心が揺れ動く。

だから、言ってしまえば、朝と夜で考えに違いがあることもある。

さらに、みんながみんな自分の理想を目指し、「こうでなければならない」が蔓延する。

 

だから、不安を解消するために、

「予定は急に変わり」

「不確かな不安もよくないと考え、消えるまで悩んでしまう」

そうしたとき、場にいる全員が「自分本位」だと、つながりは壊滅する。

 

「私が不安なんだから、私が思うように行動させてよ!」ってな感じに。

「折り合いをつける視点」をもつといいかもしれない。

 

【ワンポイントアドバイス】

自分に気持ちを聞いて、その気持ちを思いやりをもって表現することだ。

また、関係が壊れてしまっても取り戻す必要があれば取り戻せるし、どうしてもダメなこともある。

そういうときは、一人で悩まないことだ。

「相談する」という手段を忘れないでほしい。

人は誰かに話せれば、必ず解決できる。
(相手にもよるけれど味方は必ずいる)

この世で起こったできごとなのだから、この世の中に解決できる人が必ずいるのだということ忘れないでほしい。

 

心配でいい

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思春期の脳は、活性していて想像力が強まる。

だから、不安も増えるし、心配も増える。

100%の安心というのはなかなか難しいけれど、これは、同時に自分だけで解決しなくていいということでもある。

できるところまで自分でやったなら、是非誰かにヒントをもらうことだ。

特に未来についての心配はなんとかできたらと思う。

「やりたいことが見つからない」という心配をよく聞きます。

これには、知ったり、比較したり、イメージしたりするためのヒントが必要です。

【ワンポイントアドバイス】

「こんな自分でいいのか」と未来が心配になる時期でいいということを知っておいてほしい。

どの子にも同じことが起こっている。

その気持ちに対処する方法はいろいろある。

向き合う人もいれば、向き合わない人もいる。

自然に身をゆだねる人もいれば、何度も考える人もいる。

悩んだときに、自分がどうしたいのか、自分自身に聞いて、「本当はこうしたい」を大切に次の行動を考えてみるといい。

 

反抗期でいい

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「全力で自分らしい自分をつくり上げる!」

思春期ってそういう時期だと思います。

興味をもったこと、自分のしたいこと、自分の信念など、いろいろなものを思いのままに表現していいです。

許せないと思ったり、ふざけるなと思ったり、おかしいと思ったりして大人や社会にぶつかりに行くときがあるかもしれません。

それも、ありです。

あとで、そうなってしまった自分を反省したり後悔したりすることがあるとしても、またそのとき、そのことについて考えましょう。

そこから取り戻せるものもあれば、取り戻せないものもあるかもしれませんが、必ず未来に生かせると思います。

しかし、できれば「犯行期」にはしないでほしいと思います。

ときには、犯罪を起こしてしまうこともあるかもしれません。

あくまで傾向ですが、14歳~19歳までで、15歳の刑法犯少年の検挙率が高いです。

平成27年度版 子ども・若者白書(全体版) 第3章 非行・問題行動

家庭内暴力が多いのは、中学生です。

平成28年版 子供・若者白書(全体版)(参考資料10 各種データ)

「全力で自分らしい自分をつくり上げる!」ことが大切なのですが、

その「全力」に、ブレーキがなく、なんでもかんでもやってしまったら、10代の後半には取り返しのつかない責任を背負ってしまう可能性があります。

みなさんにはそうなってほしくないです。

なんとしても「幸せな10代」を過ごしてほしいものです。

 

【ワンポイントアドバイス】

たまにでいいから、幼い頃の自分が、今の自分を見て「オッケー」を出すか考えてみよう。

たくさんの環境因もありつつ、それでも、最後に自分を選べるのは自分しかいません。

親のせいでも、先生のせいでもないです。

どうであろうと、今、自分の力で、自分を良い方へ導くことができるということです。

もし、今まで関わって誰かを思い出して、やめられることがあるならやめましょう。

未来で笑顔で過ごすあなたを楽しみにしている人がいますよ。

一人で戦う必要はないのです。

 

繰り返しになりますが、

この世で起こった問題は、力を合わせれば必ず解決できます。

 

最後に

とりあえず、今回は、ここまでにしておこう思います。

 

切り札として、大切にしてほしいことを伝えて終わります。

 

①相談すること

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これが一番解決率が高いです。ある誰かに相談することは勇気が必要かと思います。しかし、その人への相談では解決できないこともあります。それでも、あなたを理解してくれる人は必ずいるので、相談するということを大切にしてください。

 

②知るということ

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 本を読むだけでも、世界の見方が変わって、解決できることも少なくないです。自分について知ること、他人について知ること、この世界について知ることも大切にしてみてほしいです。

 

そして

 ③「表現すること」

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「自分をつくっていくこと」ができると思います。


「自分らしい思春期」を大切に、幸せな20代に希望をもって毎日を過ごしてほしいです。

 

 

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【思春期】幸せな10代を過ごすために【その3】

幸せな10代を過ごすために

ニューロンの組み換えが起こって大忙しの思春期ですが、その組み換えを終えるためにも「自分で」という経験を欲しているのかもしれません。
人に言われて何かをするのではなく、自分で考えて、自分で決めることで、全身で体験して、経験を味わって、情報を処理する細胞の組み換えが「ここ」と「ここ」といったようにどんどん進められると思うからです。
親との違いを明らかにし、自分の在り方を示し、反抗することもあるでしょう。
でも、それでいいのです。
自分の人生を歩んでいくために必要な過程です。
しかし、その「自分で」に、ブレーキがなく、なんでもかんでもやってしまったら、10代の後半に取り返しのつかない責任を背負ってしまう可能性があります。
みなさんにはそうなってほしくないです。なんとしても「幸せな10代」を過ごしてほしいものです。
脳の状態を復習して、対策を練ってみましょう。

思春期(反抗期)の脳

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エメトレというサイトを参考にしました。
思春期(反抗期)の脳はこんな状態です。
1.我慢できない
2.予想して行動できない
3.常識を越えて行動してしまう
4.自分の気持ちをコントロールできない
結構、ズタボロですが、みんな同じ状態なので、ここは笑っておきましょう。
ニューロンがバンバン組み換わっているのだから仕方ありません。
どれも、脳が働きを取り戻したら、起こらないことです。
また、これは別に「問題」というわけではありません。
うまく使えば「我慢せず、結果を気にせず、常識を越えて、本能のままの自分で行動できる」わけです。
ですから「エネルギーがある」と表現しているのです。
うまく使いこなせば、幸せな10代が待っていますよ。

対応策

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一番ラッキーなことは、この話を思春期のときに知れたことです。

思春期の人全員が知るわけではないのですから、知った自分はこのことを知識として生かし、理性で自分のエネルギーをコントロールできる可能性があります。
気づいて、思い出しさえすればいいのです。
もちろんときには、それすら振り切って失敗してしまうこともあるかもしれませんが、少しずつニューロンは組み換えを終えていきます。
犯罪に巻き込まれないように、また犯罪などで誰かを傷つけないようにすることだけは大切にし、死なないように、再起不能にならないように、生きていってくれって思いです。

危うくない環境に身を置く

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とは言え難しいかもしれません。

しかし、そもそも危うい環境にいなければ、危ういことに巻き込まれる可能性が減るはずです。

小・中・高の中で、一番被害にトラブルに巻き込まれるのは、小学生ではないのです。このことから、トラブルに合うか合わないかに強さは関係なく、行動範囲が増えたり、考えてられるようになったことが増えたことが関係すると分かります。

だからといって、行動範囲や思考をこれまでのまま留めればよしというわけでもないでしょう。一時の安心・安全は得られるかもしれませんが、適切でないと感じる日が来るでしょう。

この行動範囲が広がるまでに、自分なりに判断して選択している力がついていることが望ましいです。そして、どちらを選んでも危うくならないような、環境に身を置く、そういう環境かを一歩身を引いて考えられる目をもてたら、比較的危うさからは離れることができるかもしれません。

環境調整がカギだということです。

もし何かが起こってしまったなら

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誰かに相談してください。

一人で考えて上手くいくということは少なくはないですが、多くはないかと思います。

この社会には必ず助けになってくれる誰かがいます。

そして、何かが起こってしまったなら、そこから次はどうするべきかを考え、乗り越えられると信じ行動することです。

失敗することもあるでしょう。

場合によっては取り返しのつかない失敗が起こることもあるでしょう。

やり直せる限りはそこからやり直し、どうしようもない状況に陥ったとしても、そこからせめてできる最善を尽くす。

結局のところそうすることしかできないかと思います。

振り返って行動パターンや成功パターンをためて分析するという手もあります。

客観的にどうすると自分は辛い気持ちや苦しい気持ちになるのかを考えるのです。

【思春期】15歳は言うことを聞かない?!【その2】

思春期は「エネルギーが溢れる」ということでした。
今回は、どんな背景で「エネルギーが溢れるのか」を書いていきます。

エネルギーが溢れるとどうなる?

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一般に「15歳は言うことを聞かない」といわれます。
高校の先生だった方が言っていました。
確かに自分も適当にハメを外していたような気がする。
おかげで過ちも失敗もあるように思います。
(そして、私がこれを書いている理由は、その外したまま自分をよく見つめず、突き進んでしまったからです。)
高校受験も終えて、スッキリした気持ちで勢いがついてしまうのでしょうかね……。
しかし、ただ気分の問題ではないのです。
前回どうしても「仕組み」でそうなってしまうと言ったように、誰にでも思春期の行き過ぎた考えは湧いてきてしまうものです。
ひとまず、「あーよかった」と安心してください。
それで、エネルギーが溢れて、行動に歯止めが効かなくて、なんか問題あんの?って話です。
冒頭の「15歳は言うことを聞かない」と言われる背景には「15歳の少年の検挙数」が関係しているようです。
あくまで傾向ですが、15歳→14歳→16歳の順で多いパーセントです。
家庭内暴力が多いのは、中学生→高校生の順です。
もちろん全体の一部の子にそういうことが起こってしまうわけですが、理由の一つに「エネルギーが抑えきれない」というところがあると思います。
誰にでも「なんであんなことしたんだろう?」という気持ちが湧いて反省したり後悔したりすることがあるのではないでしょうか。
反抗期と呼ばれるのもそのためです。思春期の時期には、とにかくいろいろなものにイライラしますよね。

エネルギーを発散したい気持ちは、脳がコントロールしますが、コントロールする力よりも発散したいエネルギーが勝ってしまえば、コントロールを振り切って、行動してしまうことがあるのです。

脳で何が起こっているか?

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思春期の脳の状態を、「エンジンがかかって止められない」と表現する人がいました。
そして、そのエンジンには、ブレーキがない状態なのです。
どうしてそうなってしまうのでしょうか。

性ホルモン

一説には「性ホルモン」の影響と言われています。
第二次性徴期が進み、性差が出てきて、子どもの自分から大人の自分に変わるために、脳内でたくさんのホルモンが分泌されます。
それが、エネルギーとなって、衝動的に行動してしまうみたいです。
変化が治まってくると同時に、エネルギーが溢れる状態も治まってくると考えられます。

ニューロン組み換え説

さらに、さがしてみると、面白い記事を見つけました。
ここには、ホルモンが原因だと思っていたが、思春期の時期には「ニューロンの組み換えが活発に行われている」と書かれていました。
ニューロンというのは、脳の細胞で、情報処理と伝達を行う細胞です。
そのニューロン同士のつながりが、たくさん組み替えられるとしたら、どうなると思いますか?
頭の中がごちゃごちゃになりますよね。
「溢れてくるエネルギー」の正体は、そのニューロンの組み換えを進めたい、終わらせたいというエネルギーなのかもしれません。
またニューロンの組み換えは、2・3歳の頃にもあり「反抗期」と呼ばれる時期と重なります。
つまり、2・3歳時における反抗期の脳の状態が、15歳前後の脳内でも起こっているということです。
2・3歳の頃の「なんでも自分でやりたい」という衝動的な気持ちが、15歳の知恵や力を身に着けて起こるのですから、起こす行動によっては周囲に大きな影響を与えてしまうのも納得ですね。
ただしこのやりたいは、自分が一人の人間として、親元を離れて生きて行くために必要な衝動でもあります。自分を手に入れていく時期なのです。
なんとか乗り越えて、健全な10代後半を手に入れてほしいものです。
 
次回は、そのためのアイデアを書いていきます。