三つの原則を覚えて使いこなせていないので、ここでメモしておきたい。
この三つの原則は、おそらく正しいと思う。
これが、適切に守られている場合、子どもたちもそのルールから外れた行動を取らない。今のところは、それをはみ出る姿を見たことがない。
ただし、それなりに期限はあるかもしれない。そうして、壁のシミとなってしまったなら、また、ルールを更新すればいいだけである。
ちなみに、この原則はこの本で紹介されていたものです。
amazonなどでは、売っておらず下の「アドラー心理学会」で買えます。
日本アドラー心理学会のホームページ|INDIVIDUAL PSYCHOLOGY
メルカリとかにはあるかも。
というわけで。
守られるルールには三つの原則がある
1.民主制
民主的に決まっていること。
自分たちが自分で決めていること。子どもが自分で納得して、それはそうだよねと納得して決めたルールは守られる。
2.合理性
スジが通っていること。
そりゃそうだよな。と思って理屈があれば守られる。
たとえば「宿題を忘れると、給食のおかわりができない」はスジが通っているとは言い難いと考える。
交通違反における罰則金も似たようなものだ。免許取消はスジが通っているだろう。
3.平等性
平等に全員に適用されること。
特権階級は、なし。
民主制、合理性、平等性があるルールは守られる。
残念ながら学校は、子どもにとっての「民主制」「合理性」「平等性」が控えめに言って「少ない」ルールだらけと思う(控えなければ「ない」)。
だから、少しだけ意識して、気をつけて、この三つを取り入れると、ルールは守られやすくなる。
人である方へ。人間らしい方へ向かえたなら、人はたちまち人間らしい方へ近づく。
たとえば
- 全員ひいきというやつ
- 一人も置いていかないというやつ
- インクルーシブというやつ
- 特別をつけない支援教育というやつ
- みんな違ってみんないいというやつ
- どの人間も生きていていいというやつ
- 人権感覚というやつ
- 共に生きるというやつ
これらはすべて、近い感覚のことと思う。
そして、こうした理念がシステムやそこにいる人の振る舞いとして実装されている場合。それらのどの場所も、上の三つの原則のルールづくりをしているのだと思う。
だから、優しく、温かく、人にフィットしていて、居場所になりやすく、人が根付くのではないだろうか。
【学校を人間らしい人間の居場所へ】