かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

生きるってなんだっけ(旧:生きるって楽しいじゃん)

生きるってなんだっけ

 

生きるってなんなのか、それが分からないから死にたい。

としたら。

死ぬってなんなのか。

それが分からないから生きたいと思ったのだろうか。

生きたいって思ってここにきて、生きたくないと思って向こうに行って。
なんっだよそれ。

生きるってなんなんだよ。
面倒いからいいや、やめちゃおってやめれちゃったら良かったんだけど。


ダメだ。


解決しなきゃ。意味がない。

納得できなきゃ。意味がない。

ここからいなくなっただけじゃこの思いはなんにもならないんだ。

考えに考える。
考え続けることでしか正解は導きだせない。

そして、辿り着く。
生きるってなんなのか。

生きるって、

「存在することだ」

存在していなければ生きていないことになる。
これは、たとえ死んだとしても、それは体が無くなったというだけで、誰か一人でも死んだ人の意識が存在してると認識できるならその人は生きているってこと。
ほとんどの人にとって、死んだ人は認識できないから、大抵は死んだ人は存在しないことになるけど。
心の中に生きているっていうのもあるよね。
それも生きてるってことだ。存在してるから。
ほとんどの人はせいぜい200年くらいでほぼ存在がなくなってしまうと思う。
DNAは後世に続いてるのかもしれないけど、自分がひいおじいちゃんのことをほとんど知らないように、二世代前のことがどんなだったかなんてこれっぽっちも想像すらしないように。
だから、この約200年、200年を生きるってことが、自分の関われる想像のつく範囲の生きるってことになると思う。

そして……。

さて、どう生きるか。
生きるってことは存在することだって分かったから。
存在さえしていれば生きていることにはなる。

その生きている中で、楽しいとか、悲しいとか、苦しいとか、嬉しいとかがある。
どんな体験をしていても存在さえしていれば生きていることになる。

しかし、ただ存在しているだけで満足なのか?満足できるのか?って。
もし満足出来るとしたら、それはものすごい人だと思う。
自分が存在していることが「幸福なんだ」ってそこに辿り着けちゃったら。
なんか仙人みたいだ。
確かに実際の実際はそれが正解だけどそれはなかなか難しいよ。

ただ存在していることは、"生きている"だと思う。
では、ただ存在しているではなくて、その人が自分として存在しているか。
私は、これを"活きている"と表現してみる。

生きるということは簡単だ。ただ存在していればいい。
しかし、活きているかどうか?ここが問題で人はうつむいてしまうんだ。
自分が活きていないなって感覚。
活きている実感がないってこと。

生きている実感は簡単だよ、胸に手を当てれば分かる。
息を止めれば分かる。
手首を切れば分かる。
けどそれでは活きているかは、測れない。
自分がこの地球に必要な一部なんだって思えるような感覚。
活きるってこんな感じだと思う。

ただ、存在するだけでなく、この世の中に自分として存在すること。

別の言葉で表現してみると、活きるってことは参加することだと思うんです。
ただ、生きているのであれば存在しているだけでいいです。
しかし、それはただ、存在しているだけということです。

どのように参加するか。
たとえば、自分というものがどう残りたいか、どう生きたいかということが活きる手がかりになるように思うのです。

そして、その生き方が深まっていくと、人それぞれのオリジナルの生きるってなんだっけが完成していくのだと思います。
この考えでいくと、生きるってことがなんなのかは、自分が経験し見てきたものによっても変わってくるとも考えられます。

ところで、私は、生きるってことはつまらないことだって思っていた側の人間です。
意味のないことだ、自分なんて必要ないってそう強く思っていた。

生まれてから何歳かまでは、生きるってことはすごく楽しいことだったはずなのに。
なんでか、いつの間にかだんだんなんか自分のイメージと違ってきて、耐えきれなくなってきて、自分がここにいるのは間違ってるんじゃないかって感覚になった。

生まれるところを間違えた、そもそも生まれちゃいけなかったのかもって。
そう考えた。

考えれば考えるほどなんだかいろんなつじつまが合うような気がしてきて、壊れそうになる。
生きたい気持ちは、気づけば生きるべきではないって判断になって、自分がいなければすべてが上手くいくような感じがした。

けど、生きてみた。

というか、死ねなかっただけなのかもしれない。
生きることに臆病で、死にたいって思って、けど本当に臆病だったから死ぬこともできなかった。っていう(まぁ、ありがちなんだけど、こうした時に出会う言葉も重要で、私は、映画のゲド戦記を見て「いつ死んでもいいなんてのは、真剣に生きていないからだ」みたいなセリフを聞いて衝撃を受けた)。

それに、もし、お前の人生はこの先が楽しいですプランだったらどうすんの?
って心は言ってきた。
(それを表現したようなCM→http://www.youtube.com/watch?v=nZMCCKBFk0Y

そうだよね。
死ぬってのはいつでもできることだから。
別にもう少し生きてもいっか。って。

ただの開き直りなんだけど、説得力があった。
で、その死んじゃう理由っていうのが、言っちゃえばただ自分が我慢できなかったから。

辛い状態が我慢できなくて嫌だから死んじゃう。
そんなのダサッ。って思った。

死んで向こうの世界に行って「いやぁ~やっぱり我慢できなくて」なんて、
そんな死んだ理由を話しても盛り上がらなそうだし。(普通過ぎて?)
向こうに行ってまで煙たがられるのは嫌だね。

あと、この状態で乗り越えた人もたぶんいっぱいいるとも思った。
ソイツらより弱いってことになっちゃうのだけはなんか嫌だった。

あ~あ、もったいないって思われるのも嫌だった。
でも、死んじゃったら弱いってことになるし、もったいないって思われないわけがない。
そういうわけで生きてみた。

そうなると気持ちはすごい楽になる。
自分で生きようって決めてしまうとすごく楽だ。
ここで心がなんとなく活き始めたような気がする。
なんの光もあたっていなかった心が生きてるだけじゃなくて、活き始めた。

でも中にはどうしても辛い壮絶な体験をしていて死んでしまいたいと思う人もいると思います。
一例ですけど、たとえば、『itと呼ばれた子』のような本を見るとそんな簡単に無責任に生きた方が良いんだ!
とは声を大にして言えないと思います。
こういう場合はまず"生きる"っていうことを得なければなりません。

まず"生きる"ことができていなければ"活きる"ということに光を感じれないように思うからです。
世の中には、この子のように、またはこの子以上に逃げ場のない人やもっと苦しい思いをしている人がいるのでしょう。

私には、そのような人たちのことを思うと生きることは美しいことだよ、楽しいことだよなんて言うのは無責任な気がしてならないのです。

辛い思いをし続けてでも生きた方がいいなんて、きっと辛い思いをしていない人だから言えることです。
本当に辛かったら、そうするしかないってこともあると思うんです。
でも、それは本当に本当に最終手段。

「死んじまったらなんにもならない」
こう語ったのは80歳の友達みたいなじいさんでした。
「たくさんの人がいろいろなことをしてたけど、夢を叶えたり、現役で仕事したり、でも同級生も結構いなくなっちゃってさ、死んじまったらなんにもならない」そう言っていました。
死んじまったらなんにもならない。なにも出来なくなっちまうと。
これはある意味事実だと思うのです。
(この方は2年後亡くなりました。話し好きでよく仕事の邪魔(冗談です)をしに来ました。けれど病気の経過がよくなく、生きるために、まだ生きたいからと、声帯をとりました。そうまでして生きたかったって子どもに話せってメモを渡されました。けれど、話せなくなったことでかは分かりませんが、だんだん元気がなくなっていく様子がありました。その後しばらくして亡くなりました。9年前に亡くなった奥さんの杖をいつも持って歩いている人でした。)

この話もふまえて、私は、死ぬことで解放されるのではなく、生きている中で幸せになってほしいと思うのです。

贅沢な話なのは分かっています。
けど、生きていなければすべてが意味をなくしてしまうのです。
今の生きている状態が辛い人は、なんとかして死ぬ以外でそこから抜け出す方法を考えてみてほしいのです。

それが、学校なら相談をする、学校をやめる、変える。
それが、職場でも同じです。
一番の問題は家庭の場合ですが、家庭の状況から保護をするシステムはあります。
何かきっかけや手段を見抜いて行動に移して下さい。
自分の生命を脅かすほどの状況が家庭にあったとしたらそれは抜け出す以外助かる方法がありません。
(そういう関係機関・連絡先もあります。)

【チャイルドライン】0120-99-7777
チャイルドラインHPへ
「18歳までの子どもがかけてどんなことでも話せる電話」
毎週月~土 午後4時~9時 12/29~1/3はお休み。
発信数:799,713件(1日あたり2,185件)
(うち固定電話:237,313件、うち公衆電話:41,036件、うち携帯電話:521,364件)
こんなにたくさんの人がかけています。

【いじめ相談ダイヤル】0570-0-78310
24時間いじめ相談電話です。
電話をした所在地の教育委員会の相談機関に接続してもらえる。

【子どもの人権110番】0120-007-110
「いじめ、虐待など、誰にも言えないことを話していい場所。守る方法を考えてくれる場所。」
平日8:30~17:15まで
IP電話等の場合はこちら電話番号一覧

たまらない勇気が必要になると思いますが、誰も決してあなたを見放しません。
いつだってあなたを幸せにしたくてうずうずしてるんです。
それを信じて、自分のする行動を信じて下さい。
想像してください。
自分が必ず幸せになれるということを。
何度も諦めそうになるけれど、生きている限りは挑戦できるのです。
諦めないで、出来ると思ったときに行動しましょう。
するしかありません。
そうして、生きるということができるようになったら、後は活きることです。

少し話が逸れましたが、活きるということは、"生きたい"という気持ちに近いです。
生きたいという気持ちの強さが、そのまま活きるということに映し出されると思うのです。

生きたくない人は、まずは、生きたいを見つけるまで耐えること。
どこか自分の嫌じゃないところを探してほしい。
他人が認めてくれるところじゃなくて、自分自身で嫌じゃないなって思うところ。
考えることができるとか、食べ物が食べられるとか、目で見ることができるとか、好きな音楽があるとか、好きな思い出があるとか、話すことができるとか、本当になんでもいいんだ。
その嫌じゃないところを考えたときの気持ちを考えてほしいんだ。
その暖かい感じの気持ちって心地良さだと思う。
心地よさが生きたいの手がかりだ。

でも、自分が生きたいから生きたって、そんなの自分が終わったらそんなのなんにも役に立たないって?

そう思うかもしれないけど生き続ける意味はある。

たとえば、実は死後の世界ってのがあって、そこでは生きてたときの思い出話をするのが流行っていて……また困る。
えっ、お前途中で死んだ奴なの?とか言われたら腹が立つ。

意味を作ったっていいはずだ、私は~のために生きたかったので生きましたという感じに。

ただ、単純に自分が喜びを感じたときに心地が良いから、それをたくさん感じるために生きた。

それで構わないだろう。

今は考えられない、何も浮かばないって人はまた別のときに考えればいいよ、今は読み進もう。

その裏返しに、冷静に考えてみると、死にたいってのは、辛い今が永遠に続いた場合の話でしかないって気がついた。

だったら変えればいい話だ。
無理かどうかはやらなきゃ分からない。
無理っぽいからやらないで死んでしまおうってのはバカすぎる。
(これはバカ死だ。太田光が言っている。)

それでも、自分には何もないって思うかもしれないけど、そんなことはない。
今、生きているんだから、そこに必ず意味はある。
もし、自分で意味がないって決めてしまえば当然終わってしまう。
生きていられなくなる。

だから、意味があるのかもしれないって思って立ち上がるんだ。
そして、本当の本当にダメだったら終わりにすればいいだけのことだ。

生きるってことは、実際の実際は、そんなに難しいことではない。
やらなきゃいけないことがあったなら、やればいいだけのことだ。
拒否するから、辛くなる。

自分は自由だから自由にできないことに不満を持ったりもするけれど、
自由はなんでも思い通りにできることではない。
足を動かさなければ歩くことはできないのだ。

何かをするには、どうしても何かをする必要があるのだ。
それが、できないから死にましょうって?
それは、違う。

今、できないだけだ。
生きてさえいれば必ず出来る。

人にはやらなきゃいけないことが、どうしても存在してしまうものだ。
それを、今すぐやらなければならないとしたら誰だって辛くなる。
それは苦しすぎることだ。

確かに、周りは無茶苦茶言ってくるけどさ、それに惑わされないで自分のペースでやったらいい。
自分の心と相談してやってみるんだ。
じっくりゆっくり。
ダメだって思うときはある。
必ずある。

でも、あっていいんだ。
だから、その逆もある。
ふと、やってみようって思うときがあるんだ。
そのときにアクセルを踏んだらいい。
「あ、今、自分行けそうだな」って思う瞬間。

そのときにも少し勇気は必要になるけど、大丈夫。
やらない方がいいときに、やろうって心は言わないから。
紙飛行機がふわっと手からきれいに離れるような感じにスィーッと進めるときってあるでしょ、そんな感じ。
気持ちよく進めるはずだから。
進めなかったら、また次の機会を待てばいいんだよ。

今回やらなかったからもうダメだろうな、自分はどうしても無理だ、もう一生無理って投げやりになりそうになるんだけど。
生きてさえいればちゃんと次はあるんだ。

しかも、次が来たのはハッキリ分かる。
そのときにまた自分がアクセルを踏むか迷えばいいんだ。
踏めなかったらまた次を待てばいい。
焦らないくていい。
これは経験談だから信じて大丈夫。

生きてさえいれば、諦めなければ、何度でもいつでも挑戦できるんだ。
そして、生きだしてみればたくさんのことに意味があったのだと分かってくる。
すべての経験に無駄はないんだって。
分からなくても、確実に気づかされる。
本当に。

そして、また今に意味を付け加えながら生きていくわけです。
生きれば生きるほど、自分の意味が形になっていくのです。

意味のない人なんて本当に存在しません。
もっと言ってしまえば、実際は生まれた意味が分からなくたっていいのかもしれません。
自分には分からなかったとしても、確実に意味があることは確かですから。
生きて生きて生き続けて、あなたが心地良さを感じられる方をイメージして生きるだけでもいいのです。
チャップリンは、映画ライムライトの中で、死にたいという女性にこう言います。
「次に嬉しいと思う瞬間まで生きればいい」と。

嬉しいと思う瞬間から瞬間へつないで行けば、人生は出来上がって行きます。

今、辛いとしても、次に喜びを感じれる瞬間まで生きたらいいのです。
あるとき、死んでしまいたいくらいつまらないものだと思うときもあれば、その次の瞬間には生きることが最高の喜びに変わっている場合だってあるのです。
たとえ、今、意味が分からなくても、生きてさえいれば、意味は必ずあとから付いてきます。

すべての人が、生きているだけで誰かの役に立ち、(役に立つについて■)人々を幸せにし、自らを幸せにしていくのです。
私は次第に、こんな自分でも生きられるのかもしれないと考ることができました。

またあるとき、90代の人が80代も楽しかったけど90代が一番楽しいと言っているのを聞きました。
これは、紛れもなく本心、事実だろうと思うんです。

生きれば生きるほど生きるってことは楽しくなる。

それは、自分がなぜ生きているのか見えてくるからでしょうか。
経験が増えれば、その分だけ見方は増えます。
生きている間に起こるたくさんのことの意味に気づくのです。

私は生きようと思ってから、生きるってことにただ単純に興味が湧いていました。
生きたい理由は、生きてみたい、生きたいからってことになってました。

この世に幸せが存在するのなら、一度は見てみたいとそう思っただけなのです。
生きてさえいれば幸せには必ず出会えます。
生きてさえいれば、生まれて良かったと思える瞬間が必ず訪れます。
だから、どうか生きてください。

生きるってことは、生きるってことでしか救われないのです。
嫌々生きた人生も、慣れ親しんだ人生です。
あなたのための、あなただけの人生が、今、そこにはあるのです。

私には、今、幸せと思える時があります。
幸せは、いいもんです。
それを体験するために生きたいと考えてみてください。
もちろん、思いついた何かのために生きたいと思っても良いです。
夢や、大切な人や、まだ見ぬ明日の何かのために生きたいと思って良いです。
生きてさえいれば、必ず、必ず、笑顔になれる日は来ます。

諦めないで、信じることです。
あなたは、生きるために生まれています。

今ここまで来て思います。
ちょっとごちゃごちゃ難しいけど、生きるっていろんなことがあって、どんなに消えちゃいたいって思っても、必ず笑える日は来て、良かったって思える日は来るんです。

そう分かってこう思いました。
生きるって、つまらないことだって思ってたけど。
意外と、楽しいじゃんって。
このサイトの題名です。

本当に意外と生きるって楽しいんです。
生きることで、ほんの少しでもいいから、自分が生きる意味を知って、生きようって、生きたいなって、生きるって良いなって、生まれて良かったなって、楽しいなって思ってほしいのです。

そんな。

生きるってなんだっけ。
私たちは、今、確かに「ここ」にいるということ。