ファミマのくじを2枚引いたら、2枚とも2Lの麦茶だった「ハピペン」です。このくじで商品が当たるやつは、店員さんが大変と一時期言われていましたが、今は「次回どうぞ」ってことで、大変さが緩和?されたみたい?、こういうマイナーチェンジって気づきにくいけど、発想の転換でとてもいいなって思います。
今日は、給食指導について。
以前少し話題になったと思う。
市教委によると、女性教諭は昨年4月〜12月にかけて、担任していた小学1年生のクラスの児童に対して、給食を残さないように食べる指導をおこなった。4人の児童が嘔吐や吐き出すなどした。4人のうち2人の保護者からは、野菜やフルーツなど、児童の嫌いな食べものを食べさせてもらえないかという依頼があったという。
児童の実態と保護者の願いと、教師の見立ての齟齬。
何を育てたいのかの共通理解が鍵だろうなあ……と思う。
一昔前の学校あるあるだが、給食をぜんぶ食べないと休み時間抜きだったり、無理やり口に入れられたというトラウマを持つ人も少なくない。今回のケースでは、そういうことはなかったということだが、もし仮に、給食を完食させるために無理やり食べさせるなどの「指導」があった場合、体罰にあたるのだろうか。高橋知典弁護士に聞いた。
給食指導は、教員裁量によるところで口が出しにくく、見えにくい。
だからこそ、そこで権力がものを言うことがあると思う。子どもはもっともらしい言葉を受けて、受け入れるしかない。
できれば、学校としてのスタンスがなんなのかが組織の見解として広まっていて、そこに根差した食育が行われればいいのに、と思う。
食育は割と法整備では新しい方だと思うが、そのときには、生きる力の基盤となるものと言われたほどだった。
この本にそうあった。
そんな風に重要な「食育」なのに、好き勝手に教師が指導している。
効率を競争しあったり、食べ物は大切だからと無理矢理食べさせられたり、どこの施設だかわからないけど無言でもくもくと食べさせられたり、個人的には全部実社会とズレている、人をモノとして扱ったような指導が多いなあと思ってみている。
集団を円滑にコントロールするっていうのは、そういうもんなのかもしれない。
はなまる学習室のやり方でちらっと見たことがあるけれど、嫌いなものを食べるとみんなで拍手するような、そういう励ましで食べれりゃまだマシなのにと思う。
記事の下に行くと「どこまで指導としてやっていいのか?」とある。
前提として、小学校は社会的教育をする場所でもあるので、当然、生活一般の指導もおこなわれます。その中には、好き嫌いを克服することも求められていると思います。したがって、指導して給食をぜんぶ食べさせることがいけない、ということにはならないでしょう。
ただ、どこまで指導としてやっていいのかが問題になってきます。そのときにポイントになってくるのが、身体に対する直接的な暴力や、肉体的苦痛をともなう行為なのかどうかです。
たとえば、無理やり口に入れる場合は、身体に対する暴力的な行為であると考えられます。たとえば、お団子状のものを持って、口の中に押し込むという行為は体罰にあたるでしょう。
一つの前提。その通りだと思う。
その先を見て「ハピペン」は、そうなんだなあ、と思い知る。
スプーンなどを使って、口元まで食べものを運ぶ行為はどうだろうか。
「その場合は、直接的な暴力にあたらないと思います。
ただ、『お腹いっぱいで食べられません』と言っていたり、あるいは嗚咽して目が潤んだり、小さく震えたり、吐き出すような前触れがあるにもかかわらず、口元に運ぶようなことがあれば、児童は肉体的苦痛を感じていると考えられます。無理に食べさせていることになるので、体罰にあたる可能性があります」
ふむふむ。
子どもの声を聴くのは大事だね。
児童の隣に座って、精神的なプレッシャーをかけるような指導はどうだろうか。
「これもまた、かならずしも体罰にあたるとは考えられません。教育上、精神的なプレッシャーをある程度与えることはあります。たとえば、大会やテスト、運動会の出し物など、子どもたちは一生懸命な中で苦痛を感じているということがあったりします。
しかし、『つらそうだから指導をやめよう』ということになったら、子どもの成長を逆に邪魔してしまうことがあります。すべてのプレッシャーがいけないわけではありません。
「ハピペン」は、この辺りを丁寧に分け隔てられているかと怪しいところがある。
【成長のためのプレッシャー】について、考えていきたい。
もちろん、精神的なプレシャーをかけることが、不適切な指導になることはあります。大声で高圧的に指導したり、無視したり、嫌がらせをしたりが典型例でしょう。本当に純粋に相手の心を傷つけるのでダメだとされています。ただ、体罰というくくりとはまた別の話になります」
大声、無視、嫌がらせ。そんなつもりで指導している教師はそうそういないだろうけど、この3つは辛い可能性があるだということは知っておきたい。
ぜんぶ食べないと休み時間を抜きにするという指導はどうだろうか。
「判断がとても悩ましいところです。かならずしも『行き過ぎ』とは考えられないかなと思います。ただ、休み時間をつぶして、ずっと給食を食べさせている理由にもよるでしょう。
たとえば、食べるのが遅いとか、集中力を欠いて食べないとか、そういった理由があって食べさせているのであれば許容されるでしょう。絶対に体罰になるという事例ではないと思います。
一方で、児童の限界を超えているのに、『最後まで食べろ』と放置していたり、他の生徒がはやしたてたりすることを放置しているのは問題です」
このようにシステムに目を向けるのはとても重要だと思う。
たとえば、ある特定の子が苦しんでいるのは、教師の目が届いていないことによる不当さによってかもしれないというのはあると思う。
また、小学1、2年生は、自分たちがされたことを正確に保護者や先生に報告できないことがあります。
非常に誘導に乗りやすかったり、抽象的な概念をとらえるのが難しいので、いじめの問題など事実調査が難しい年齢です。
この立場的に弱いというところこそ、教師が意識したいところ。
いくらでも、不当を受け入れざるを得ない子どもたち。
とことん配慮したい。
- 成長のためのプレッシャーが必要なこともあるということ
- 大声、無視、嫌がらせは、NGの指導だということ
- その子が原因という理由があれば許される指導があること
- 我々は誘導しているだけかもしれないということ
以上の4つが、「ハピペン」の心に響いた。
みなさんは、この記事から何を感じるだろうか。
私は、もっと子どもに寄っていいんじゃないかなあと思った。
ただ食べさせることは、生活指導と言い切れるのか微妙だなあと。
教師が変な責任を負わないで、もっと給食をポジティブに食べたっていいんじゃないって思った。
つながるか分からないけど、この話にも通ずるような。
あと、先日の行ってきた講演について少し書いたので、いつか見てくださる方はこちらも。