かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

自己実現の教育

あれ、ワインも飲めるようになってる?!「ハピペン」です。なんか、好きだよ。もともとぶどうジュース好きだったし。ワインのぶどうジュース感についていけるようになってきちゃった?!

 

ほい。昨日の続き。

www.happypenguin.net

 

脱・自尊感情?

そこから、改めて

  • 自己選択
  • 自己決定

と、私が大切だと思うキーワードに遡ってみようと思っている。

 

ところで、人々の「ゆとり」が「感情コントロール」や「子どもを攻撃しないこと」につながると考える。

ゆとりは、選択肢の多さ、可能性から生まれる(居場所での自由度、安心感)。

「選択肢=ゆとり」で、選べることが、生きやすさにつながると思っている。

そのあとは「決定する力」「判断力」も大切になる。

 

選択と決定については、「生徒指導提要(第1章)」にある文言と重なる。

自己実現の基礎にあるのは、日常の学校生活の場面における様々な自己選択や自己決定です。

 

http://www.akita-c.ed.jp/~cjid/teiyou.htm

 

この自己実現ってなんだよって話なのですが、生徒指導提要の目指す自己実現は「社会的な自己実現」。

生徒指導は、一人一人の児童生徒の個性の伸長を図りながら、同時に社会的な資質や能力・態度を育成し、さらに将来において社会的に自己実現ができるような資質・態度を形成していくための指導・援助であり、個々の児童生徒の自己指導能力の育成を目指すものです。

そのために、日々の教育活動においては、
①児童生徒に自己存在感を与えること、
②共感的な人間関係を育成すること、
③自己決定の場を与え自己の可能性の開発を援助することの3点に特に留意することが求められています。

もう少し続き

そして、教育課程は、学校において児童生徒の人間形成や成長発達に直接かかわる役割を担っています。この教育課程がその使命として果たそうとする人間形成を図るためには、多数の児童生徒を対象として、一定の期間に、一定の資質や能力を育成しようとすることから、どうしても共通性が求められます。このことは、必ずしも教育課程のマイナスの側面としてとらえられるものではなく、むしろ人間形成においては、人間として必要とされる資質や能力について共通の認識の下、その育成を図る上では重要な側面であるといえます。
しかし、児童生徒は一人一人異なった個性を持っているとともに、それぞれが置かれた生育条件や環境条件も同じではありません。したがって、人間として必要な共通の基盤に立つ資質や能力の育成とともに、社会的な自己実現が図られるようにするためにも、一人一人の個性的な資質や能力を伸ばしていくことも重要となります。

教育基本法の第1条的に「個人と社会」の両方を狙うのは切っても切れないんだよなあと思いつつ。

個人的には「社会的な自己実現」の話は納得している。

 

そもそも、学校はそういう教育機関なのだと思う。一個人の人生の幸福も大事なのだけど、社会化ありき。当然といえば当然なように思う。多数とか少数とか言いたくないのだけれど、幸せは社会ありきなことが多いように感じる(=個人は優先されないということではない)。

 

しかし「豊かな人間性」という言葉が学習指導要領に出たときに、猛烈に「社会的な自己実現」について批判している本もあって驚く。この時代と似たカオスがあるのだなあと思う。

自己実現の教育―豊かな人間性の育成をめざして (1980年)

自己実現の教育―豊かな人間性の育成をめざして (1980年)

 

生徒指導における文部省の出した文書の自己実現についての説明を引用し、

価値の多様性を認めていない、あるいは人間の主体性とか、価値を創造するといった側面を見てないでただ精神分析でいう「取り入れ」だとか、「社会化」といった非主体的な過程のみを強調しているように思われる。
そうした考え方は、実存する主体的人間という人間の本質や、民主主義社会のルール、あるいはその基本的原則に逆らうものである。

とある。

人間は社会的存在というのが必然なら、わざわざ「社会的自己実現」と言う必然性がなく、「個人的自己実現」でいいじゃないかとある。

私は、学校は結局、国民の人間としての価値を規定したい、その結果子どもたちはやりたい人間ができず苦しんでいる部分はあるかもしれないと思った。反対に、社会のリアリティが伝わっていなくて生きづらい人も生まれているだろうと思う。社会で求められていない力を測られて出来なくて責められてである(すぐに謝るとか、前ならえとか)。

もっと人間でいていいのにって思ってしまう(現状を人間ではないとは思っていない。現状も人間らしいといえば人間らしいはず)。

現代では、個人を生きる考え方が、社会生活でも生きる力になる部分があるだろうから、1980年の当時の考えとのズレも少なくなるのではないか、と思う。

ニュアンスになってしまうけれど、社会的自己実現が個人的自己実現になるというコースでなくて、個人的自己実現が社会的自己実現につながるというようなコースが良い。

前提の違い。

1980年「落ちこぼれ」が問題になったちょっと後、その頃も系統的なカリキュラム過多だったわけだけど。今もいよいよ7時間目が出てきている辺り、不適応は起こりそうだよね。

 

ってことで、そうそう。

適応・不適応で考える2018年にしたい。

そのために、アセスメントにもう少し根拠を持ちたいだ。

あえての持ちたいだ。んだ。そうだ。

 

そして、とりあえずここに着地する。 

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かも。