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自己として生きるための最適なあり方と結びついた、その人なりの自己肯定のあり方(『自尊感情の心理学』を読んで)

昨日は、2:46起き!布団に毛布をプラスして寝ているときの暖かさが増したら、たまに3時前後に起きられるようになった「ハピペン」です。早起きに大切なのは「安心」かもしれない。起きて大丈夫な世界ですよ。温かですよって寝てる時の脳が「起きたい!」になってくれる。なぜ、家の中で寒がりながら寝てサバイブしていたのか。

 

もう読むしかない!っていう魂で(逆に魂の抜け殻で)読んでいた。

自尊感情の心理学: 理解を深める「取扱説明書」

自尊感情の心理学: 理解を深める「取扱説明書」

 

 

最終章の文言に腑に落ちたところがあった。

「自尊感情を高める!」そうだね!オッケーベイビーではなく、

自尊感情の質の問題、自己を肯定するということに想定される様々な次元、生き方における自己の意味などを、立ち止まって考える必要があろう。その視点に立ったとき、「その子なりの自尊感情」というあり方への視座が開けてくる。自己として生きるための最適なあり方と結びついた、その人なりの自己肯定のあり方というものがあるのではないか。「自尊感情を高めよう」という働きかけがもたらす違和感は、そこに付随する「自己についてこのように思わないといけない」という暗黙の圧力なのかもしれない。

自分について、外枠で規定する必要はないよってことだ。

結果「適応してりゃよくね?」って話だ。

そのためには、自尊感情を高めることが必要というよりは、当たり前に自尊感情を高める過程が大切なわけだ。その過程にある行動や考えが自己を変容させ、より適応する方へ向かうってことだ。

適応をどう測るかもう少し調べないと分からないが、適応は地球(社会ってするとまた圧力になるような)で生きやすく生きるってことだろうと思う。

"自己として生きるための最適なあり方と結びついた、その人なりの自己肯定のあり方"という言葉が刺さる。肯定したい自分を肯定しろよ、それで最適と思える存在の仕方で適応しろよって愛。

私は、それを手伝いたい。

 

いちゃいけない人はいないしね、自分が肯定できるくらい、環境がその人をどれだけ肯定できるかだと思う。「私たちは社会だ」と君臨するのではなく、その人も社会の中の一人、その人が「私たちの社会(その都度持ち出す自分の思う社会規範)にいられるように」ではなく、『社会』でいられるようにその人も含んだ社会規範(規範というと変えるのに大々的な作業が必要そうに感じてしまうが、そういうことではなく、感じ方レベルでいいと思う)にリデザインしたらいいだけと思う。

 

電車の中で、スマホを見て子どもが騒ぐ。親が取り上げると子どもが泣く。少し離れたところで、舌打ちと小さい声で「うるせーな」を繰り返す。

それを、どう思うかはそれぞれでいい。そこにいる誰もが、自分を肯定して生きられたらいいなと思う。その方法はないかなと考え合えたらいいなと思う。

個人的には、いいから子どもに席譲れよとか思うが、周りにいる人のほとんどは、日常として、なんとも思わなかったり、和んで子どもを見つめていたのかもしれない。

泣いている子どもに海外の人は微笑むってのをパートナーが関心しているときがあったけど、それでいいと思う。聴覚過敏の人もいるのかもしれないけど、そういうときは、自分が移動するって選択肢もある。

自分は何も動かないでなく、何か動くって発想も常にもてたらいいんだよね。

 

本書を読んで得た、最終的な報酬は

 

いやいやそれが「ハピペン」でしょ?!って声もあるとして。

 

自尊感情を追うのは危険だ。罠だ!!

 

そんなことはないのかもしれないが、私には、ちょっと……追いきれない。

 

ただ、キーワードが違うのかもと思った。

もう少し狭める。

そこから、改めて

  • 自己選択
  • 自己決定

と、私が大切だと思うキーワードに遡ってみようと思っている。

 

いやいや、それも広いよ、お前さん、って思われるかもしれないが、自尊感情よりは行動ベースで考えられそうでいいなあと思った。

短絡的さを拭いたい……が難しいだろうか。

 

適応・不適応をどう測るかを調べて、最終的にはそこにつなげたい。