交流の成果物のノルマがきつい……ハピペンです。早め早めに相談しておけばよかった。ネゴシエーション力が……ない。まあやるしかない!
今日「◯年生でしたこと」を振り返った(低学年)。
一言目は「勉強!」だった。
まあそうだよね。
そこから「何の?」と問う。
「漢字!」と出た。
続けて「テストとノートと練習」と言う。
そこから湯水のように45分間、思い出して合計
70個くらい出た。
そんなに一つ一つ自分の言ったことって入ってるのか、と驚いた。
年間200日と考えると3日に1つ新しいことを確実に入れていった感じだろうか。
そのどれも継続によって身について来るわけだけど。
手を上に真っ直ぐ伸ばす、ジャンプ、しゃがむ。こういうのだって、意識して繰り返してできるようになる。
(そう思うとラジオ体操がきれいにできるって結構身体感覚がいる)
新しい学びというよりは、生きていく上での基本的なことが多かった。身体の動かし方、人との関わり方、座り方、話の聞き方、字の書き方など。
大事なのはこうして残っているこのどれも(99%)は、「なさい!」などの命令形を使わないで指導してきたこと。
見せて、選ばせて、問うて、できたら誉めて、できていないときには丁寧に無視をしてやってきた。
来年度にまで持ち越せるのかは未知数だけれども、できた自分を70個も覚えているなんて驚いた。
今後も、もうその自分を選べばいいだけなのだ。お手本を理解しているというのは強い。
その子曰く、「勝手に言っちゃった」と表現しているときがある。そう、誰にだって「つい」はある。
その都度怒鳴られていたらたまらない。機能として、勝手に起こってしまうことはあるのだ。
そういうときもあるよね、と大目に見る。次回以降のできる限りの努力を称賛したい。そして、そのためには、リハーサルなどの練習もいる。
そうして、出来て誉めるがある。
怒った→反省させた→次を約束した→練習なしは、次の一回が本番ってことだ。
そういう指導は、本当はやらせる気ないんじゃない? ストレス解消のためにあえてできないようにさせてんじゃない? と思ってしまう。
【残る指導】これは、テーマとしてささやかにはあるので、考えていきたい。
その子が次のステージでも生きやすくなりますよーに。