かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

ありがとう、さようなら、そして……。

これが最後だと言って

君が離れようとして

僕は最後の別れの言葉を言わないだろう

分かる人だけでいい

分かってくれる人だけでいい

そんな程度の思いで今歌っているわけじゃない

UVER WORLD「RANGE」より

このバスも最後かー。と、ハピペンです。

温かい日差し。温かい日差しすぎる。

旅立ちの日。

二日連続、駅で冷やしたぬきを食べる。個人的には夏の味なのだけど。

 

とりあえず、新しい学校に一年飛び込んで自分なりに適応したことを(不適応的だったかもしれないが)ほめておこう。

 

笑顔の先生と思われていたならいいなあ。

 

人生の1ページに笑顔の大人がいたら、少しは生きていくうえでの強さにならないだろうか。

 

笑顔の大人と小学校が結びつくと思い出す人が一人いる。

自分が4年のとき、初日から毎日最後の日まで、担任に「かわいい」と言われ続けたのを思い出した。

 

背が小さかった。かわいいは正義。声も高かった。

 

私は、そのとき転校生だったので、その先生が可愛がってくれたおかげで、馴染めたのかもしれない。

 

その後、ことあるごとに何度も周りの子たちに、何年生のときに来たんだっけ?ずっと昔からいた気がする。と言われた。

 

思い返すと、本当はそういう素質あんのか?

全然活かせていない。馴染めない自分。その自分にも馴染めない自分。もっと自然にいたらいいかな。

 

自分は脅威には晒されていない。と。

安心して日常を過ごそうよ。と。

構えないで、自分でいたい。主張するときと服従するときとバランスを取るには取るのだけれど、そんなに、相手によって自分の振る舞いをコロコロと変えたくない。嘘くさくなる。

ただ、コロコロと変えないと嫌な気持ちになる人もいるのかもしれない。みんな大切にされたいのだ。

 

「みんなを大切にする」

 

来年度、一体どうやるのやら……。

 

そのポリシーで、6年間来たので、引き続き試みていく。

 

という午前までの話。

 

つづく。(ここに来ての2部制!?)

 

#自分らしい見方