かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

33日目:太陽の周りに虹ができた日

今日は校外学習がありました。ちょいヘロヘロなハピペンです。朝ごはんが少なかったんじゃーい!!

 

連日、空に目がいく。

 

太陽の周りに虹が出ていた。

ハロというらしい。

 

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さっそく、昨日の「正の注目」をして過ごせたと感じる一日。

 

話す時にいつも「後ろを向いている子」が気になっていた。

 

けれど「前を向くよ」とか、「前を向いている子をほめる」とかは、ちょっとよくないと思っていて、今までは、嫌な雰囲気をつくっていた。

 

しかし、昨日のパセージのおかげで、「正の注目」に意識がいき、言葉が変わる。

 

「全員に共通するできていることへの感謝」を思い付けるのである。

 

「もう全員座っているね!すごく嬉しい!ありがとう!」

 

これを言うと「後ろを向いている子も前を向き出す」から不思議でならない。

 

だからすかさず「気づいて全員前向けたね!ほんとすごいね!話しやすいよ!ありがとう!」

と言ってみる。

 

  • 自分には能力があると感じさせるには?
  • 人々は私の仲間であると感じさせるには?

そう考えると、自分の精神衛生上も悪くなく、良い言葉を選べる気がする。

 

この「気」が重要で、大抵の苦しみは、自分の指導言の危うさであったり、至らなさであったり、後悔だったりするのである。

 

だから、それが減って、放課後も妙な不安がない。

 

通信に「ありがとう」を大きめに書くと、一人の子が「すごい。ありがとうが一番大きい」と呟いた。

 

これは、今朝「おどろいた」から「ありがとう」に変えたため、その意味を感じて嬉しかった。

 

「ありがとう」ってたくさん言われた方がいいよね、子どもさんたちね。

 

君たちは、十分役に立っている。

頑張っていることが伝わっている。

そもそも生きているだけで良い。

素晴らしい。君たちがいることは、生きていることは、本当にテンション上がる!

 

そんな風に子どもを思いたい。

 

「パセージ」では、仲間だと感じるために、傾聴の大切さが示され、「傾聴」のロールプレイも行なった。

 

それも生きていた。

聴いていることを示すために、よく質問をはさみがちだったが、3分の1くらいに減らした。

 

相づちで済むとかは済ました。

聴いて終わるシーンも多くつくった。

 

話し終わると(聴き終わると)、子どもは跳ねて遊びに出ていった。

 

こちらの心持ち一つで変わるなあ、と実感する。すごい。

 

良し悪しの評価軸が、自分でなく、外にあって、それを実践できたから良いと感じているところに危うさを感じなくもないが、もし子どもたちにも明るい気持ちが宿っているなら、やはりこの関わり方は良いと言わざるを得ないなあ。

 

少なくとも、私側にとっては、とても良い。