子どもたちに励まされ始めるハピペンです。
ジャーナルには、私の「イイネ!」や「1週間お疲れ様」の言葉が並ぶ。
「また来週!」の言葉もある。
昇降口まで見送ると、みんな笑顔でハイタッチをして、帰っていく。
その顔を見て愛おしいと思う。
今朝は、朝からドッジボールに行くことにした。
それで、下駄箱で登校してきた子たちとすれ違う。
「どこいくのー?」
「ちょっと、ドッジボールしてくるわ!」
「楽しんできてねー」
と言われる。
この子は、ジャーナルに「頭がよくなりたくて悲しくてたまりません」と書いていた子だった。
もう一人「少し雨降ってるよ」と声をかけてくれた子もいた。
どちらかというと「だからダメだよ」というよりは、「気をつけて風味」に受け取れた。
なぜ朝っぱらから外に行くかと言えば、昨日の昼休みと言いながらできなかったためだ。
そして、イェーイと喜ばれる。隣のクラスの子たちに。
朝はそこそこに、教室に戻る。
やっぱり、金5の魔力もすごい。
負ける。
しかし、ジャーナルを見ていると、道徳の話し合いなんかが楽しかったという意見がちらほら見受けられる。
そして、今日は目をつけているAくんがよくがんばっていて驚いた。
ほしがりなのに、不適切なことしかしないために注目しにくいのだが、今日は一転、めちゃ注目しやすい日だった。
Aなりに頑張っているということを認めることにし、不適切さも周りを信じることにしてスルー。
良かったと思う。
もう一人Bくんにも変化が見られた。
明らかにCにつねられて泣いたのだが、謝りがなくてもいいし「今、自分のの気持ちは明るい」と精一杯説明して見せてくれた。
どうしてかというと「Cは、優しいし明るくて有望だから」ということだった。
言い換えると、そういうつい怒って嫌なことをするときもあるけれど、イライラしてよくないことをしてしまうときもある。とのこと。
だから、いい。のだそうだ。
空中戦であるが、BのCへの一段上の理解に驚いた。
確かに、今週、BはCが、ことあるごとに気にかけて、サポートしていた。文字通り階段を登るときに、本当に背中を押しているときもあった。
ネガティブでないこと
トータル。
とにかく、ポジティブがいる。
表面上ではなく。
本心から「今を在り」だと思えるような。
「なんとかなる」というよりは「まあいっか」と期待を込めるような、大丈夫と思うような。
すべてのことは、学びと思えれば学びなのである。
自分なんかが考える実践よりも数段本に書かれていることの方がよい。
— なっさん (@kn_penguin) 2018年6月15日
今朝、教室に上がる前に2ページ本を読んだ。
そのやり方で、特定の子への暴言を減らせた。
今、私にあるのは、目次を見てココだと、当たりをつける能力まで。
適当でない適当な対応で子どもを苦しませているだろうな。と思う。
ネガティブな感情で物事を発しているとき、それは中々心に届かない。
— なっさん (@kn_penguin) 2018年6月15日
(それが、光から来るような、正義からくるような訴えであれば、違うのかもしれないが)
さも、正義ぶって、黒い気持が見えないようにしながらの訴えはとにかく直感的に苦しい。
その自分の中にある黒いような、ネガティブなものに気づくことがすべての鍵なように思う。
— なっさん (@kn_penguin) 2018年6月15日
ここに書いた「裏の目標」というものに近いと思う。
それを越えて真の目標に向かうことを考えられたとき。子どもはもっと本来もつ貢献的な良さを見せてくれる。
たとえば、こちら側は、話し合いを提案するよりも、単に「お願いすること」が有効なときもある。
— なっさん (@kn_penguin) 2018年6月15日
そうして、自分を見直して立て直すのに【パセージ】が役に立っている。
班にして給食を食べなあの子にも正当な理由があったのだった。
「ここに書いた」は、これのこと。https://t.co/AhKqwp5wHL
— なっさん (@kn_penguin) 2018年6月15日
他に
まあ、たとえば、いちいち待てないなら、強い指導ではなくて、内容で強引に始められるような指導も併せ持つ必要があるのだけれど。。。
ああ。そして、ふと「ほめることでも個別に呼ぶ」ってことを思いついた。
「うん、そうしよう。」
夏休みまで、あと24回の勤務だ。