私が外に出れば、ちょうど強まる雨。ハピペンです。大きな地震がありました。
現段階で、三名が亡くなっていま。もちろんたくさんの負傷者の方々もいます。
三名のうち一名は、小学生の女の子でした。
7:58、登校中。
嘆いても人生は進む。
そのうち、自分の目の前の大きな問題に、嘆きも薄れる。
いつかになれば、留年や中退を悩んでいるかもしれない。
けれど、そんなことは、未来が終わってしまうこととは、雲泥の差で大したことではない。
明日の日常をどう過ごそうか迷う。
とにかく、祈りは捧げたい。
その命の分、せめて、自分は精一杯生きると思いたい。
そういう他人の命を、胸に蓄えられる子どもたちであってほしい。
人生とは他者を蓄えて、まるでその人の分まで、その人の意志まで、そうやって引き継いで生きていくものだと思う。
他者を自分の中に住まわせて生きていってほしい。
その子の「強み」は人生のリソース
指摘された強みは、励まされた強みは、一生その子を加速させるのではないかと思う。
強みは「良いところ」でもある。
なんでもいい。その人がもっているもの。何で励ましても大方大丈夫だと思う。
例えば、昆虫好きじゃん?生き物愛せるって素敵だよね。そのAさんならお友だちも大切にできると、私は思ってるんだよね。
協力して、お友だちを大切にできるようにしてみない?私に手伝えること何かありそう?
といった感じ。
少しでもいいから、その子のもつ良いところにかすらせて、その子を応援すること。
その自分にもともとあるようなリソースを生かして励まされることは、前向きなやる気につながる。
嘘みたいだが、本当なようである。
肝は、自分の感情がネガティブでないこと。
ネガティブでないフリではなく、本当にネガティブでないこと。だ。
本当はイライラしているけど、冷静を装って子どもを「勇気づける」ということはできない。
なんなら、感情さえコントロールして語りかけていれば、それは「勇気づけ」の一つであると言えるほどかもしれない。
「感情のコントロール」がとにかく、すこぶる大事だ。
今日は、よく目につく二人に「結末について共有すること」と「共同の課題にすること」をもちかけることができた。
またまた【パセージ】のおかげである。
【パセージ】後の月曜はイライラが減る。
子どもを多めに見て、許せる。フラットな気持ちでかかわれる。
それに、昨日のルールを教わったってのもあるから、自分の考えも言いやすくなったし、バランスが保てているような気もする。
やたらな不安、距離感の遠さ、正したさみたいのがなくなった。
大丈夫。それぞれの課題で、よろしくやってらーって思える。
そした、少し聞けるようになってきたように思う。
だから、もっと練習できる機会をつくはなきゃ、と思った。
全体の場で発表すること。
漢字を教えるときに「丸といったら?」とか、「同じ音で意味がちがうコトバ」とかを見つけさせると、手を挙げて言ってくれる子がたくさんいた。
こういうなんでもない、それぞれの意見を聞く楽しさで、聞くことを練習させよう。
200をつくりたくてジャンケンをさせまくる
「100より大きい数」の導入だった。
教科書は「クリップ」を数えさせる。
ただ、数えさせられる動機が薄いと思って、ジャンケンを持ち込んだ。
勝つとノートのマスに丸を書ける。5つ。
負けても書ける。1つ。
それで、自分が何個か数えてもらった。
ここでもまた「"くらい"とは?」という問いでぶつかる。
「まとまり」
「なかま」
「へや」
などが出た。
明日は、「クリップ」を数えよう。
そういう数の勉強をするんだという構えはつくれたかと思う。