かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

53日目:その子の「強み」は人生のリソース

私が外に出れば、ちょうど強まる雨。ハピペンです。大きな地震がありました。

現段階で、三名が亡くなっていま。もちろんたくさんの負傷者の方々もいます。

三名のうち一名は、小学生の女の子でした。

7:58、登校中。

 

嘆いても人生は進む。

 

そのうち、自分の目の前の大きな問題に、嘆きも薄れる。

 

いつかになれば、留年や中退を悩んでいるかもしれない。

 

けれど、そんなことは、未来が終わってしまうこととは、雲泥の差で大したことではない。

 

明日の日常をどう過ごそうか迷う。

 

とにかく、祈りは捧げたい。

その命の分、せめて、自分は精一杯生きると思いたい。

 

そういう他人の命を、胸に蓄えられる子どもたちであってほしい。

 

人生とは他者を蓄えて、まるでその人の分まで、その人の意志まで、そうやって引き継いで生きていくものだと思う。

 

他者を自分の中に住まわせて生きていってほしい。

 

その子の「強み」は人生のリソース

指摘された強みは、励まされた強みは、一生その子を加速させるのではないかと思う。

 

強みは「良いところ」でもある。

なんでもいい。その人がもっているもの。何で励ましても大方大丈夫だと思う。

 

例えば、昆虫好きじゃん?生き物愛せるって素敵だよね。そのAさんならお友だちも大切にできると、私は思ってるんだよね。

協力して、お友だちを大切にできるようにしてみない?私に手伝えること何かありそう?

 

といった感じ。

 

少しでもいいから、その子のもつ良いところにかすらせて、その子を応援すること。

その自分にもともとあるようなリソースを生かして励まされることは、前向きなやる気につながる。

 

嘘みたいだが、本当なようである。

 

肝は、自分の感情がネガティブでないこと。

ネガティブでないフリではなく、本当にネガティブでないこと。だ。

 

本当はイライラしているけど、冷静を装って子どもを「勇気づける」ということはできない。

 

なんなら、感情さえコントロールして語りかけていれば、それは「勇気づけ」の一つであると言えるほどかもしれない。

 

「感情のコントロール」がとにかく、すこぶる大事だ。

 

今日は、よく目につく二人に「結末について共有すること」と「共同の課題にすること」をもちかけることができた。

 

またまた【パセージ】のおかげである。

 

【パセージ】後の月曜はイライラが減る。

 

子どもを多めに見て、許せる。フラットな気持ちでかかわれる。

それに、昨日のルールを教わったってのもあるから、自分の考えも言いやすくなったし、バランスが保てているような気もする。

やたらな不安、距離感の遠さ、正したさみたいのがなくなった。

 

大丈夫。それぞれの課題で、よろしくやってらーって思える。

 

そした、少し聞けるようになってきたように思う。

だから、もっと練習できる機会をつくはなきゃ、と思った。

 

全体の場で発表すること。

漢字を教えるときに「丸といったら?」とか、「同じ音で意味がちがうコトバ」とかを見つけさせると、手を挙げて言ってくれる子がたくさんいた。

 

こういうなんでもない、それぞれの意見を聞く楽しさで、聞くことを練習させよう。

 

200をつくりたくてジャンケンをさせまくる

「100より大きい数」の導入だった。

教科書は「クリップ」を数えさせる。

ただ、数えさせられる動機が薄いと思って、ジャンケンを持ち込んだ。

 

勝つとノートのマスに丸を書ける。5つ。

負けても書ける。1つ。

 

それで、自分が何個か数えてもらった。

 

ここでもまた「"くらい"とは?」という問いでぶつかる。

 

「まとまり」

「なかま」

「へや」

などが出た。

 

明日は、「クリップ」を数えよう。

そういう数の勉強をするんだという構えはつくれたかと思う。