かならず幸せになれるいきもの

おしゃべりによる出現する未来から学ぶ

「入り口はゴール」ってこと

急に後ろから触れられて「カバン開いてます」と注意されるも、久しぶりに安らかな休日を過ごしている、ハピペンです。

 

年に1、2回くらい注意されます。単に気にせず開けているだけという。日本の治安を信じすぎですかね。

 

今日は、意欲の話。

 

見通しをもたせるために一番いいのは、ゴールを体験させることだ。

 

たとえば「野菜を育てること」に意欲をもたせたいとき。

ゴールである料理(調理実習)をちらつかせて、頑張らせることがある。

 

しかし、そのために、事前に完成品を食べていないことが少なくないだろう。

 

けれど、振り返ってみると、意欲の源泉はゴールの体験なのだと言う(養護学校のコーディネーターの先生)。

 

たとえば、小さい頃のホットケーキ。

 

最初、私たちは、それをただ、食べているはず。

 

そして、次のときに、混ぜるなんかをやらせてもらう。

 

次は、卵を割る。

 

次は、袋から粉を移すもやってみる?

 

次は、買いに行くところからやろうか。

 

といった具合に。

 

子どもは、ないゴールに向かって意欲をもつこもは難しく、ゴールの「おいしい」を知っているから、学ぼうとか体験しようとか思えるって話だ。

 

今回、虫を飼いたいという子にあれこれ教えたことを「もっと学ばせられる機会だったか!?」と大人の卑しい妄想をしたのだけれど、その正しい知識の成功体験の後、面白ければ自分で次の虫を飼おうとするだろうし、その際に「自分で調べる」といった「大人の卑しい目的」は果たされるのではないか。と思った。

 

もしできるなら、最初にゴールを味わわせるのは大事だという話。

 

いろいろな学び方のための学びはその後なのかもしれない。

 

ただ、チームのゴールなどは、体験させたり、イメージさせたりしにくいものもある。

 

「実際に」が、無理なら「イメージ」ということになるが、それをいかに与えるかさせるか。

 

媒体は、言葉かもしれないし、絵や写真、イメージ画像、映像、具体物?

まあ、いろいろ。

 

プロジェクトアドベンチャーなんかも、ゴールイメージの感情体験のツールなんだろうなあ。

 

とても魅力的だけど今はキャパ不足。