あー全然残業したくない。我慢してもできなあ。やばい。あーやだ。ハピペンです。
学校の面白み。もっと展開してあげたい。けれど、こちらが楽しませようとするほどテイカーが生まれてしまう違和感。
今日したこと
- グループで「Hi-five」づくり。やっている子どもたちの笑顔がすてきすぎた。
- 秋トーク。これも盛り上がった。
- 形くじ。これも、まあ、そりゃ、盛り上がるわな。
そんなもんで、あと特筆することがない。話をよく聞いたくらいかなあ。
一人ひとりに声をかけることは意識したかな。だいたいみんな元気がなさそうなのだけれど、「おはよー!おー元気そうだねえ」「全然元気じゃない!」ってやり取りをいくつもしたなあ。
それより、昨日の話をしよう。
昨日は、のんびりdayだった。
FBを流していると映画の予告の投稿があった。
「母さんが僕をどんなに嫌いでも」
映画『母さんがどんなに僕を嫌いでも』予告編 - YouTube
あー痛い。タイトルだけで痛い。
予告を見るのも躊躇した。
でも、見た。やっぱり見なきゃよかった。
子どもの愛が親に適わないっていうパターンは苦手だ。苦手すぎる。世界一報われないかつあまりにも虚しい愛だ。
好きじゃない。
こんなコメントをした。
見ました。これを使ってマウントする人がいなければいいなあと思います。なんでしょうね。でも、何かに迫られている(責められているとは違うのですが)、そういう気になる予告でした。恐怖心かな。でも、心に響く映画を教えてくださってありがとうございます。
すると、原作にはすごいメッセージがあったと言われる。
怖い。怖すぎる。
けれど、買って読む。逆に引き下がらない。向き合う。乗り越える。せっかくのチャンス到来なのだから。
いやーいてーよ。痛い。
でも、不思議と苦しまずに読める。
こういう人もいるんだって希望になる。
そして、大切な肝心なことの一つは「孤立しない」ってことだということも認識できる。
読んでこうコメントした。
読みました。
新版のあとがきの中央のあたりのセンテンスに救われる思いでした。
『毒になる親』という本が一時話題になったかと思いますが「親と対峙しなくてもいい」という価値観が示されており向き合えないことをフォローしています。
映画で、これは美しい例の一つにすぎないということが受け取れるといいなあと思いました。
ただ、原作を読んでみて、人に期待する気持ちとか、関係修復にチャレンジしてみようかなとか、失敗してもいいやとか、不思議と明るい気持ちが残っています。そうした人のハッピーエンドは思ったより色々な人の希望にもなり得ると感じました。
連鎖を断ち切るあたりは、被虐待児に共通する願いだと思います。それを実現しようと行動できたことは本当にすごいことだなあと思います。そして、漫画の間で、孤立がきついんだということにも言及されていました。たとえば、どんな子どもについてでもそうですが、つながる喜び、あなたはどうあがいたって一人ではないということを伝えていけたらとも思いました。
お陰様で、学ぶ機会を得られたかと思います。感謝します。
あとで、もう一度読んでみようかな。
今思うのは、要するに、やっぱり悲しい子どもがいるのは悲しいってことだ。
なんとか。なんとかなるなら、なんとかしたいと思った。ひとりぼっちをなくすことだ。
「ひとりぼっちをなくす」と言ったらpiecesなのだけれど。
本当にこの団体の考えていることは、人を救うと思う。話を聞いているだけで希望を感じるもの。生きようって感じがするもの。
原作にも「孤立」ついての言及がある。
そして「母僕」のサイトはこちら。
映画「母さんがどんなに僕を嫌いでも」公式サイト 11月16日(金)全国ロードショー
いろんなことがあるんだよ、この地球の上では。セブンイレブンのレジに流れる豪雨地域への募金額を見て驚いたんだよ、1億近い。すげーなって。コンビニめっちゃ金集めるな。って。
でも、パッと「◯◯ちゃん救って」系の募金が浮かぶんだ。あれは2億くらいのことが多い。
教室では子どもが「死ねって言われた」っ振り返りに書く。いつって聞いたら前だってさ。
なあ、なんで募金すんだよ。なんで赤ちゃん一人を助けたいんだよ。
大切にするってなんだ。苦しまなくていい苦しみをなくせたらいいのに。
まあ、心配しなくていいよ
「のんびり行く予定だから気にせずそのままでいなよ」
結局、この地球は誰も置いていきゃしないんだから。
オレもそういうつもりはある。
振り落とそうとしない地球に感謝で。